松本孫右エ門翁を顧みて

松本孫右エ門翁を顧みて 翁は二十六歳にして原町々会議員を振り出しに二十九才で福島県々会議員。三十一歳の若輩で国会議員の栄冠を射止めた人材である。 代議士に当選する事四回、原敬内閣の常時政友会総務に選ばれ其の後同顧問となる。其の間実業界方面並に新聞界に跳躍し日本鉄道株式会社の建設に対しては常磐線平岩沼間の各駅建築に従事し又枕木請負業をなし常磐線の開道を完遂したる功労者である。
当時日本鉄道施設問題に関しては時の二大政党の王座憲政会の各層に於て反対謀反の徒党を組んで全面的に反対の策動に猛然と戦ひ抜いて今日をあらしめた政友会での立役者たる人こそ誰れぞある松永右エ門翁であった。其の後時の人傑郷誠之助と共に三星炭坑を興し又神戸鈴木貿易商店と関係しかたはら日本醤油株式会社を創立し東洋麻糸株式会社をも創立者である。
其の他東株理事、横浜生糸取引所理事、日活社長、大阪新報社長、本県に因んでは福島民報者創立者である。又政友会支部創立最初の支部長である外都新聞取締役等数々の事業に関係し壮年の翁の活躍振りは躍如たるものにして今尚彷彿たるものがある。
因に翁の晩年は鎌倉別荘に鑑賞月在余命を送りつつあったが寄る年波には抗し難く往年の活躍に翁の健康をそこない仮床にあり、七十六才を一期とし眠る如く初秋九月六日午前十時二十五分家人知己の者に護られつつ安らかに光輝ある数々の歴史をのこし静かに不帰の人となったのである(O記者)
巨人去ってもの憂深し秋の暮 春翠

相双民報 23.10.1.

ワシントンのメリーランド大学に眠っていた「プランゲ文庫」検閲文書コレクションの中に、地元原町の新聞があった。松本孫右衛門の訃報弔文が掲載されていた。筆者は大越春翠という記者によるもの。
文中、福島民報の創始者とあるも、二代目社長である。

2014年1月29日 ·

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