小高城は守谷城がモデルか
 酷似する両城址の地形

去る二十五、二十六日の二日間にわたって、県立小高工業高校社会部が奥州相馬のふるさとである相州相馬(下総相馬郡・葛飾郡)に研究旅行した。
 この旅行を企画したのは同校社会科教諭社会部顧問の相馬胤道さん。四九で、研修の結果奥州相馬の歴史に関わる多くの点で示唆されるものがあった、という。その一端を聞いてみた。
 胤道さんは三年前に小高神社宮司の父胤敏さんが死去したため小高工業高校で社会科教諭をつとめるかたわら、小高神社の宮司職をついでいるが、祖先の相馬氏の奥州下向に興味を持ち「人生で最も感受性豊かな高校生として文化遺産に目と膚で直接触れて、その歴史と文化に則した学習をして知的創造活動の契機としたい」という目的から、このほど郷土史研究などの加害活動を行う同校社会部の生徒十五名を引率して、平将門の活躍した地方と奥州相馬氏の祖先の土地であった守谷町、流山市などの現地を訪れた。

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