あぶくま新報 顛末記

 1989年1月に、ついに昭和天皇裕仁は薨去した。
 マスコミは通常の機能がストップし、大葬の礼までテレビは歌謡娯楽番組は自粛され、お笑い番組もきれいさっぱりブラウン管から消え、ドラマも映画も禁止された。
 異常なまでのナーバスな世の中は、まるで古代か中世のような神がかりの時代に戻った。
 この機会に照準を合わせてぼくはブラジル再訪の計画を立てていた。前年の秋ごろから「おはようドミンゴ」でキャンペーンを組み、18人の相馬地方からのブラジル在住親戚訪問ツアーを募集していた。
 テレビも新聞も、毎日のように天皇の下血の量を報道し、まるでカウントダウンのように天皇の死の予告で全国の空気を呪縛しつつあった。
 この昭和の死を謹んであの世に送る時期こそは、マスコミすなわちテレビの仮死であった。教育放送chだけが、子供の番組をまともに作り、まともに放送し、気の利いた国民は、貸しビデオ店に通い出し、好きなプログラムを見放題になったのと、意外にも殆ど死にかけていた映画館が、最期の息を吹き返していた。

 1988年の11月と12月は、実はあぶくま新報主幹の東清和にとっては、厳しい二か月だった。
 社長の横村一男氏が、給料を渡してくれないので、焦慮していたのだ。

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