機関士たちの殉職

8月8日にも運航中の列車が狙い撃ちにされた。
「八日の早朝、上り貨物列車が末続駅手前のトンネルを抜けたとたんに、いきなり機銃掃射を浴びた。5時40分のできごとだ。機銃弾は乗務していた原町機関区所属の機関士木幡重良さんの背中を撃った。重傷を負った木幡さんは近くの産婆さんの家に運ばれ応急処置を受けた。これが幸いして一名をとりとめ、のちに原町の病院で治療を受けたが、弾丸を摘出することが出来なかった。
長い間こういしょうに苦しみ、銃弾を取り除くことができたのは二十年以上も過ぎてからのことであった。
8月9日、磐城太田駅で銃撃負傷者が出た。
「紺野貢さんは磐城太田駅で銃弾を浴びている。紺野さんもまた体内に残った銃弾を摘りだせずに戦後を過ごしたという。亡くなってからだ荼毘にふして、やっと3センチほどの弾丸を取ることができた。」
そしてついに8月10日がやって来た。原町機関区で、6人の殉職者が出た。
小林安蔵(45)
酒本幸蔵(41)
志賀照雄(41)
二上兼次(39)
屋か箸直(34)
新妻嘉博(16)
の6人である。鉄道はもっとも危険な職場、というより「戦場そのもの」だった。

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