明治44年7月11日民報
野馬追の前触れ
△臨時の列車 海岸タイムス社に寄ったら野馬追号編集で多忙最中「時に臨時列車はあるか」と聞いたら「あるともある、なんぼうでもある。」大変な勢いで野馬の様に其処で時間割を見ると十二日は不通の に是程なんぼてもあり。
大正1年福島新聞9.23.鉄工場のひげさん、海岸タイムスの岡和田君、帰省中の杜雨君など尋ねたき友は沢山あれど
大正4年、民報は桑村という記者が野馬追いを見物に来た。
「雨の相馬」(4)民報 大正5年7月24日
岡和田と佐藤政蔵について言及がある。

私立草津温泉の一騎亭に行いた、岡和田君も髭さんも一緒で、夫れに松浦君も加はった。

また別紙同業の後藤迫洲もこの時の紀行に書いている。

浜路の旅 迫洲生

群衆と騒音の中を、同業桑村君と半谷馬城君と、原町の有志数名の案内に、雲雀ヶ原へと向ふ、青草の匂ひ高い原を、汗と雨に濡れ乍ら群衆は永く続いた。知事が反返る可く用意された天幕休憩所へと入って同業子ズラリと知事の側に腰を据える。唯観れば、緑野茫々、数千の騎馬武者は、旗印を青嵐に吹かせ乍ら勇ましく縦横に疾駆する。壮観な旗取りの争奪戦を観て午後三時雲雀ヶ原を辞した。
有志、佐藤政蔵、岡和田甫両名其他が、途中、付近の旗亭に請じて呉れる。

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