71 さらば相馬の地 帝王ペガサス

 「西郷輝彦が原町ロケで落馬したっていうでしょ。信じられなかった。あの馬は私も乗っていた馬です。帝王ペガサスという、おとなしい馬です。走るよりも食べてるほうが得意の、のんびり屋なんですがね。このあいだ松浦ライデイングセンターの総会でその話が出て皆で笑ってしまった」
 と語るのは、富士ゼロックスフクシマ営業所いわき出張所原町分室勤務の大久保明だ。大久保は、この五月に山形へ転勤する。原町には三年間住んだ。東京都世田谷生まれだが、相馬野馬追を扱ったNHKの特別番組でテレビで見て子供の時から野馬追を知っていたという。大久保は日本の古武道に興味があり、空手では法政二高時代に神奈川県個人戦準優勝の成績を持つ。この時には世界チャンピオンになった相手にぶつかって惜しくも二位。さわやかな若者だ。
 「今度は伊達政宗の山形です。番組の中でも相馬義胤が伊達と戦ったり、三春城に乗り込んだりする。やっぱり相馬の土地は戦国の武士の国なんだなと実感する。相馬の野馬追に出陣できたのは一番の思い出です。テレビで合戦の場面などが出てくると思わず身を乗り出してしまう。自分も、その場面の中にいるような気がしてくるんですよ」
 と熱い口ぶりだ。
 原町転勤は実に因縁めいている。法政大学を卒業後、富士ゼロックスに入社して最初の認知が福島。それから三年後に原町転勤が決まった時は血が騒いだ。
 一年目はまず見学。乗馬は原町に来てから初めての体験だった。二年目には騎馬会に入会した。高平で松浦ライデングセンターの経営者松浦秀明の紹介で馬も借り、野馬追本番の四か月前の四月から毎朝五時に特訓してマスターした。甲冑はゼロックス原町分室の大家である「ますだや総本店」社長所有のものを借りて、ついに初出陣を果たした。
 一か月前からひげを生やして本番ではすっかり本物の相馬野馬追の騎馬武者になりきった。
 「馬の上から見物客を見下ろす気分は、本当に侍になったようで最高だ。殿様の気分ですね。相馬野馬追というのは日本の男の憧れと夢なのではないでしょうか」
 初出馬の時の神旗争奪戦では三回落馬した。練習の時と通算すると八回の落馬。だが争奪戦の時には全く痛みを感じない、という。
 「最初の年は旗のすぐ近くまでは行けたのですが、旗を取り合う修羅場を初めて見た。すごいです」
 「まわりの皆さんから本当に親切にしていただいた。最初に原町に来た時には会社の先輩二人しか知らなかった。松浦さんには息子のようにかわいがってもらいました。二十九日の競馬も見納めしてから引っ越します。山形に行っても、乗馬は続けたい。野馬追には休みをもらってまた出たい」
 転勤を前に、相馬の人情が身に染みる思いだ、と言う。

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