原町遊郭史・世相史

相馬藩には遊女というものが存在しなかった。と相馬市史は主張している。「戊辰戦争で官軍が多数領内に入って来ると、九月に小高、浪江、鹿島へ遊女を置くように命令され、伊達、富岡方面から女をつれて来て十人くらい置いたようだ。」(相馬市史)。
中村には置かなかった。ただし、私娼ははいた。しばしば禁止令が出たし、違反者が処罰された。

明治維新で原町に遊女が出現

▲長瀬屋 原町の宿場に初めて芸妓という職業が出現したのは明治三年か四年ころのことで、長瀬平太郎という人物が原町字新町に小屋掛けの飲食店を開業して芸妓家を兼業したのがはじまり。
小せんという芸妓がいた。小せんは伊達の出身で、大正七年には伊達の月舘に帰って余生を過ごしていた。このとき七十一歳というから、さかのぼって明治三年には二十歳ぐらいのときだった。
▲荒川 明治四年七月に原町の本町に荒川茂七が開業し、芸妓おれんは二十六歳の年増だったが多芸の美人だった。おたけという芸妓もいた。
▲菅原 明治十三年十一月、仙台の材木商菅原竹治が、下町野村杏之助宅に開業。妻のお八重が店を仕切り、竹吉、金吉、おまきという女がいた。
▲野村 明治十七年八月、菅原に代わって開業し全盛を極めた。
小まん、つた吉、小梅、小文、きく子がいた。半玉のおかく、というのもいた。
▲柳屋 十八年、松浦景次が開業。のちの柳屋組の総本家である。おいし。
▲萬年楼 二十二年、下町において開業。楼主亀井豊五郎。おひで、きよ次。
▲塩屋 二十四年五月、下町において開業。のちの中野屋支店塩屋三五郎が主人で、おとき、おみきという女がいた。
▲立谷 二十五年九月、立谷海蔵が下町の自宅で開業。おみや。
▲田川屋 二十六年五月、下町で小泉傳蔵開業。小いま、お千代。
▲小泉屋 三十年二月、小泉傳蔵貸座敷。芸妓山子、村子は郭芸妓の元祖だという。
明治初年から三十年までの営業は十一軒だが、このほか森岡、むさしや、花月、百井、慶楼などの芸妓営業者があったが、短日月だった。
三十年のあとにおける営業者で廃業したのは大村屋、芸妓村子、新吉、都、栄屋近子など。

創刊して一年後の福島民報に、原町の風聞が載っている。

明治25年9月15日 民報
原町近況  当地における本年の盆会は平年に比して一層の賑わいなり。蓋し生糸の高値なりし為の意外の収入を得しと二百十日も無事に経過し早や中晩稲共残り少なく穂をかため此后多少の風雨あるとも先つ大害なきに至り豊作万作疑いなきを祝し万民鼓腹の時期に際せしを以て特に盛を極めたり。且つ盆踊りは二ヶ所ありていづれも賑やかにて男は女と化し、女は男と学び異装百出奇々妙々叩く太鼓の音も面白く踊る舞踊の拍子も可笑しく若者連の得意、炎熱、裏に終日硯を弄する記者諸君杯の夢にたも知らざることなるへし○当地小学校職員の品行に就いて面白からぬ風説のみ多く気概ある者ハ悲しむべきの至なり。或る授業生ハ或る白首と乳くり合へりとか或る訓面白からぬ風説のみ多く気概ある者ハ陰刀に腕を扼しおれり学校教員を挙げて書く。(画く)
然りと云ふにハあらされども一犬虚に吠えて万犬実を伝ふるの世の中教育社会特に児童教育の任にある当事者諸君ハ宣しく三省せられた者なりと生徒の父兄等は言へり

明治26年6月16日 小高通信
明治26年6月30日 小高近況
明治26年8月4日 鹿島通信 宇多行方近況 富岡雑報
明治26年8月16日 相馬麦就き節の禁止 民報

原町の酌婦、七十五人

明治26年9月20日 民報
○行方郡原町近況  戸数八十戸人口千九百余内呉服太物商五戸 酒造家四軒 醤麹四軒、小間物荒物商十五軒、飲食店十六店、旅人宿七軒、菓子店九軒、魚店六軒、医師四戸、大工職十二戸、染屋三軒その他の雑商七十軒、殊に飲食店の多き相馬に冠たりしたがいて酌婦と称するもの七十五人あり風俗の日に破壊する驚くべし地方の有志及び警官ハ評判如何の感を抱き居るや
○小学校ハ市外の北端に在り在学生徒五百余教員二十一人高等校長中村氏ハ評判可ならず品行修まらさるとの説あり且教員の中には彼の酌婦に戯るるものありと聞く少しく注意して可なり(後略)。

明治27年2月17日 鹿島町歳月景況
明治27年2月17日 富岡における年市

料理屋、貸座敷は盛況

明治28.9.13.民報
〇相馬地方の豊作  近日相馬地方を巡回せる本社員よりの通信に依れは同地方の稲作ハ非常の好況にして稲は早中晩共悉皆実り早稲の如きは刈取りても差支無き程と為れり地方実業家の話を聞くに昨年よりも却りて増獲あるへしとの事なり去れハ人気も自然に引立ち一段に好況を現はせり中村原町、小高等は料理店貸座敷等非常の盛況なり

娼妓の治療医

明治28.11.26.民報
〇娼妓身体検査及治療医委托  朽(栃)窪貞吉氏は行方郡原町村娼妓身体検査医に年手当金二十四円。世気正親氏は同郡原町村娼妓身体治療医に何れも昨日任命ありたり

明治29.7.19.福島民報 雑報
〇相馬郡原町通信
新設貸座敷ハ非常の繁昌にて僅か三戸のみなるも妓数ハ三十名程あり当地名物の淫売婦は一時百余名の多数ありしか貸座敷新設以来は自然淘汰により追々其数を減し目今ハ僅か五六名の残物あるのみ芸妓も従来は概ね淫売兼務の為め中を盛なりしか是又四五名を残すに過きす左れは当地の識者は何れも淫売駆除法には公娼を置くに如かすとの輿論に傾けり

「ゑつしえ日記」の原町

明治30年に、作家幸田露伴が久の浜まで開通していた海岸線のちの常磐線に乗って福島県浜通り地方を旅行しており、久の浜からは人力車で北上した。
原町に着いたのは夜だった。
雲雀ヶ原の南口から町の方を見やると明かりがともっていた。その明かりのあるあたりが、原町の遊郭だった。原町遊郭は明治30年にできたばかり。鉄道開通に合わせて場所が決められた。

小泉屋が開業。

常磐線原ノ町駅が開通。

32.6.21. 中村芸妓の品定め
32.6.21. 続中村芸妓の品定め
32.6.22. 続中村芸妓の品定め
32.6.25. 続中村芸妓の品定め

33.2.4.  鹿島町貸座敷計画
33.2.6. 鹿島町貸座敷問題に就いて
33.2.18. 死体の配達間違い 小泉楼出稼ぎ娼妓
33.3.3. 警察衛生普及策 小高 本多掬之助
33.4.7. 相馬長者の芸妓狂い
33.10.6. 中村町花柳ポスト

34.6.23. 娼妓の廃業を妨ぐ
34.7.21. 緑陰閑話 原町の不見転芸妓代吉と旅店中野屋の廊下に大乱痴奇
34.9.12. 中村町通信 新料理店 「新開楼」
34.11.28. 相馬郡小高妙見神社下染屋息子は女郎は買う芸者でも下卑でも手当たり次第

4.2.浮世のぞき 小泉屋の草餅
4.15.浮世のぞき 原町署長さん高平村の菊池とかいふ巡査は此間同村の御祭
35.7.24. 中村花柳便り
35.10.29. 中村 投書 遊郭

原町遊郭の誕生

貸座敷

36.4.1.福島新聞
◎遊郭地設置に就て 相馬郡原町遊郭地は去る廿七年中松永亀助仲野竹二郎松浦景次の三名の出願許可なりしが該遊郭に北側は浜街道に通ずる即ち一等里道(欠損部分)

原町は天さえ淫色を現はし申し侯

明治三十七年、栄華楼が参入

37.4.30.福島新聞
◎相馬原ノ町の風紀 彼の怪婦毎夜隊をなして町内を横行し男の袖を引くやら淫猥の談話をなすやら実に意想の外にて外来の旅客などは此地は女島ですかとの問を起す程なりと或人より態々の通信あり之れ事実ならば其筋の取締あらん事を要す

この年の福島民友の「原町だより」には、「貸座席非常な盛況にて毎夜、太鼓・三味線の音絶ゆることなく候。海外万里の野に故郷を夢見つつある兵士の心労を一寸思われ候。原町、近来は各商店繁昌にて、人気も宜敷、何れも見てもにこにこ大黒様お往来顔繋に候」とある。

また12月27日民報に曰く。
○原町より 木枯すさぶ今日とて初雪さへ降り初め万事枯涸を主とし各商店とも閑散の態にて候も年末の事なれば多少の人出も之れあり候△馬市 今回新に当町に設けたる馬市は去る十五日より向ふ五日間施行の筈にて候処本年は始めてのことよて他地方人の買人なく至って少なく候△栄華楼佐藤某今回貸座敷業を開業し昨日は之れが開業祝挙行の事とてデレ助呑平連の鼻うごめかして登楼する者多く仰々の賑ひてツンツンヅンヅンの音は寒天に轟き亘り天さえ淫色を現は申し候(浮笹)
12月29日の民報には、特派記者の久保小蘇が「二〇三の絶頂」(故国への飛信)と題する報告が載っている。包囲軍従軍記者と署名がある。
「敵の屍体中には本日も未だ片づけられざるもの八九十有之候がソノ中には三本筋の将校もを見受けられ候、戦死の悲惨は今更印すまでも無之候へども敵の屍体中最も気の毒なるは土壌の中頃に積まれある死体に御座侯、見れば臀部以下を表はし陰茎が仲を失ひつつありて固きこと石の如く北上に足を乗するも些の影響を見ざる程にまで凍ひ居りしには敵ながら無残に感ぜられ候」云々。
凶作と凶作の間の国難の時に、日本は近代国家として世界史に名乗り出ようと国運を賭していた。郷里にあれば農村の壮丁として働き頭が原町市区からは七十名、戦場の露と消えた。戦地に屍となる者あれば、郷里で遊郭に女体を追う者もあったのだ。

明治45年 福島新聞
5.18. 自転車を呑みこみ盗み品で女郎買

大正2年
△興業物と遊里

大正3年
大正3.9.24.
祝全国自転車競技大会
福島日日新聞社主催

小林眼科医
大橋運送店
渋佐機会操場
相馬電気株式会社
松本酒店
木幡モスリン工場
相馬モスリン紡績株式会社
原町銀行
原町商業銀行
平銀行原町支店
大清舘林庄太郎
石井電力製材所
大橋鉄工場
小林明治
植菊鉄工場
原町鉄工場
横山自転車店
原町石川組製糸場
原町印刷合資会社
星材木店
梅田小間物店
金田屋商店
小田機操業
山城屋
鈴木商店
佐藤優輔商店
門間呉服店
相馬畜産株式会社
門間呉服店
相馬畜産
百井医院
岩城屋
そめ乃 幸町
愛原活版印刷所
鎌田寅之助
鎌田商店
清水午太郎 原町
小田機操場
松永商店
相馬肥料株式会社
丸屋雑貨店
天野栄三
上杉洋服店
青田写真舘
山形屋
原町芸妓屋組合
同芸妓連中
きむ良
丸忠貨物直扱所
山沢屋
藤田家
鍋屋金物店

堀川商店
豊蚕舘 北山彦治
丸屋 花月舘
中野屋支店
扇屋
小泉屋
小仲屋
松光醸造元 丹野円蔵
米沢酒卸商 原町○久支店
老松 佐野酒店
かね東 松永商店
ラーヂ自転車
代理店相馬自転車商会

大正4年

4.1.17.
原町より
◎原町信託株式会社は従来業務閑散を極め余り成績良好とは言はれざりしが年来の相談纏り松永七之助等の引受くる所となり住所も原町一丁目阿部市助氏宅に移転し営業方針を漸次拡張の機運に接したれば将来大に地方財界を補助する所あらん
4.6.20.
野馬追祭日変更不可論(一)
太田神社氏子某姓
兎に角人意を以て妄りに定むべきにあらず宜しく御神慮に問ふべし右に就てはさきに野馬追祭を再興し其祭日を定めたるは県社太田神社なれば是れ亦太田神社の御神慮に依らざる可からずと中村神社、小高神社両神職及ひ氏子総代一同慎重審議の上太田神社の社司数日沐浴斎戒して太田神社の御神断を仰きたる結果今の七月十一、十二十三日に変更改正したるなり(以下略)

花の中村
▽郡役所開庁式

■中村座の活動 英国エクエル会社マニラ活動写真は九月十二日午後六時より中村座に於て開演フェルムの重なるものは三国同盟の激戦陸海軍斥候の苦戦三国同盟海軍大戦争新派大悲劇恋の夢等にして頗る長尺の物なりと因に木戸下足共大人十三銭中学生九銭小人六銭

●小高町空前の賑
在旧十月十四日の市日を七日に繰上げ「小高の秋市」として年々行ふ
▼其他の興行物 として小高座に新派劇
停車場前に小屋掛して開演すべく其他活動天国と地獄など大評判なり

民友 大正4年
5.25.中村芸妓置き屋に係る紛争

大正4年福島日日
2.23.陰茎が腐れて落ちる 小高
7.26.中村町繁昌記2 伊勢屋旅館 広文堂広助 守田屋酒店 丸久
7.30.中村町繁昌記3 橋本屋裁縫店 武林呉服店 斎藤材木店 相馬印刷会社
7.31.中村 小林屋 羽田洋服店 柳家旅館

8.1.原釜だより
8.20.咄! 咄! 聖代の奇怪事 中村巡査の夜這騒ぎ 野口博士 帰朝
8.24.中村町の盆踊

9.7.新開楼の主人が轢死を遂ぐ 原因は女房の淫奔
9.8.鹿島座
9.9.新開楼の主人自殺後聞
9.11.(下) 中村の灯篭流し
9.25.中村町の淫売
9.30.中村の色街
10.4.中村町の祭礼
10.5.原町芸妓に狸腹四人
10.7.中村支局移転 業務拡張のため 中村の大相撲
10.10.中村町の人気湧くが如し 相撲
10.16.中村町 花柳界 写真 中村の花
10.20.富岡案内記~22.  24.藤原吉蔵投稿
10.26.月夜の格闘 石神の強盗
10.28.登校の途橋から落ちて行方不明 九つと八つの子供 太田 高野金次郎かた
10.30. 弁士の剃髪
10.31.鹿島校開校広告
10.31.飛行機福島の着陸 須川空前の人出無慮三万余
10.21.石神紛擾に就て
11.3.中村座の活動
11.5.原町 夜森公園自転車競争
11.7.山田村長から藤原への反論
11.7.鹿島の紅灯
11.8.片腕の切断 鹿島駅で飛び乗りの婦人 新築落成 中村新開歯科医院広告
11.10.原町 原町御大典記念事業 不明 郡議選挙違反
11.12.石神村御大典記念
11.14.原町芸妓組合広告
11.16.中村町たより 活動写真
11.19.中村官民奉祝会
11.19.玉寿の怪腕 11.24. (2)11.25.(3)
11.21.原町芸妓発展 大みか村篤志家

12.1.双峰山人へ 蛙禅 12.4.裏おもて 西山の兄さんとは旅館の西山には無之候
12.10.馬陵城跡へ一大公園
12.11.宇田川町の朝市
12.13.相馬三電合併協議会 中村原町小高
不明 田町は銀座
12.28.女蕩して八年 大みか生まれ吉田留五郎

大正5年福島日日
1.5.中村すずめ 中村の春(二)  1.8.中村の春から
2.1.中村旧暮の街(2)
2.4.芸妓玉寿変装逃走
4.7.中村廓の噂 4.10.同 4.11.中村紅筆便り 4.12.鹿島たより
6.13.相馬鹿島より 6.13.中村紅筆便り
7.21.相馬原町の情死後聞

相馬中村の飛行大会 頗る盛会を極む
芸妓同乗し滑走
相馬郡中村町に於ける福島日日新聞中村支局報知新聞中村出張所相馬報徳会主催となり、飛行滑走大会を開催する事は既報の如くなるが当日は天気良好にて殊に野馬追御繰り出しを見んものと出で来りし者非常に多かりし為め盛会を極めたるが芸妓秀龍の同乗滑走などありヤンヤと騒がせたり
5.7.15.福島日日

中村芸妓三十余の中一番度胸のある又最も新しい女に近いのは三業の秀龍先頃中村町に於て村田式の飛行機滑走会を催したる際に同乗を希望して遂に本望を遂げると同時に此の評判が町内に拡がり三ツ子の果てさへ飛行機芸妓と云へば直ぐ三業の秀龍と云ふたとが解るまでに名を売ったは実に偉いもの大正下木々の標本として社会に照会する価値がある(同情高慢生)ウラオモテ
福島日日

大正5年福島新聞
9.8.原町情話「白い肉」暗に動く玉次の腕 栄町小柳屋の小柳
10.20.原町の女相撲 初
10.27.原町芸妓の玉代値上げ 廿五日より決行
11.15.原町の遊興費 二軒の遊郭に十五名の娼妓が居る
11.17.原町に競馬場 研究中 原町自転車競技前景気
11.20.原町芸妓総出の斡旋 原町自転車大競争 空前の大盛況
11.29.小高町の美挙 一家を救う
11.30. 原町の女相撲 初
11.12.自転車競争大会広告
磐城屋 小仲屋 花月館 中野屋本店 中野屋支店 原町芸妓屋組合
柳屋 栄花楼 新福本 丸川 磐城屋 新柳屋 小柳屋 桜井写真店

大正6年福島新聞
11.12.原町の三業解散 原因玉代問題乎。
12.31.小高署の淫売狩 密売で七日拘留

大正7年
相馬原町紹介
芸妓屋
松亀楼 松浦景次
栄華楼 佐藤重太郎
岩城屋 小林亀助
新福本
丸川 布川実
新柳屋 松浦景次
小柳屋 佐藤音吉
若柳屋
玉柳屋 大友とり
春の家 末永くら

福島日日2.3.日曜教壇
2.15.原町女郎花 逃ぐ
5.13.中村遊郭の豪遊客は
12.26.寿亭 松江 写真

10.21.「落栗 中村より」 遊郭雑報 民報

原町座での芝居興行について仄聞できる記事もある。
大正7年7月2日民友「相馬原町芸妓のお芝居」という記事。
〔相馬郡原町芸妓連は予て演劇実演の稽古中なりしが愈今廿一日より同町原町座に於て同町約三十名の芸者出揃ひ芝居を為すべく其筋に出願許可されたるが但し観客を楽屋等に引摺込むに於ては芸妓取締規則違反で厳重処罰を為す由〕

芸妓玉壽は無罪 相手は旦那故 松永留之助

小高が黒暗 女の家に忍ぶべく邪魔な電流を絶つ

大正8年福島日日

2.1.原町織物会社に働く三十名の朝鮮女工

3.1.原町と高女校 今村校長語る
3.30.中村に新芸妓屋 三升屋
4.20.中村全町両日間賑ふ
春祭りに種々の催しありて川原町には活動写真見せ物等は数カ所設けられ

5.28.夏の実父斬り
5.30.中村町地方に頻々たる放火

6.10.中村放火
6.27.石川組製糸場を襲ふ
6.19.相馬地方の旱魃

7.4.野馬追祭近づく 高松宮の台覧は来年に
7.12.宵乗りの盛儀 写真2葉
7.18.渡辺武綱 捕はる野馬追馬具一組窃取さる
7.19.原釜少年 写真

8.5.真夏の原釜海水浴場 写真
8.6.相馬郡の水争ひ 玉野

8.30.初秋の野に闘ふ 中村野球
8.30.女郎花 中村便

9.7.大正館の春洋 小高郵便局の積悪
9.18.相馬の合百事件 原町
9.28.中村町の秋祭り

11.13.秋の中村遊郭
12.6.今明日かけて中村町賑ふ 芸妓写真
12.6.写真 中村地方海中の惨殺死体
12.28.野口博士の発見

大正9年 福島日日
1月欠落
2.27.中村芸妓屋間の紛争 原町組合が仲裁に
3.9.植田駅急行列車転覆の光景 写真
芸妓と墜落した小栗さん 写真
6.16.爆弾芸妓 日米間を連絡する磐城無線電信局 受信数は益々増加
7.12.広告 野馬追 写真
8.8.原釜 7.22.原釜 写真
8.31.県興行師と駈落せる娘の行方を追て
8.31.民報 芸妓久松原町へ
11.26.色魔の手ハンド
11.21.十日市 浪江町広告全面

大正10年 福島日日
1.1.浪江銀行 東京信用銀行浪江支店 浪江信託株式会社 平銀行浪江出張所
石川組製糸場
1.8.小高大火の二十三年忌 新派喜劇招聘 小高座で寄付集め木戸無料 1月5.6日
1.13.原町分署拷問事件の予審決す
1.17.原町新人会武道大会 原町局完成後は三倍

2.4.原町分署の拷問事件 両巡査は否認す
2.6.小高文芸会のカルタ会
2.11.原分署の拷問巡査に検事体刑を求む

3.8.原町カルタ会
3.7.中村町の自転車競技 来る十日に開会
国営猟場の審査 小泉技手原町へ
3.12.雲雀ヶ原を一大公園に
3.18.民報 原町駅員風紀廃る
4.5.深夜放火から 原町南新田七棟焼く
4.11.中村旧城趾賑ふ 自転車競技 写真
4.11.民報 揉に揉た中村花柳界、三年目に解合へ
4.15.民報 中村花柳界紅白組の紛擾近く解決せん

5.1.大みかの殺人三年求刑

6.17.三日に確定
6.18.飛行機も来る
6.24.原町小火
6.29.民報 復活せん中村三業
6.30.祝賀会の準備殆ど成る

8.5.青年悶死 小高 サイタ間違へ酢酸を嚥む
8.8.石神村資産家の倅 海水浴中に溺死 ウイスキー呑んで入水
8.10.福相銀行原町支店員 煩悶の末の自殺 石神紺野盛一召使女と結ばれた恋
8.12.工女らが娯楽の為に活動写真を購入
8.12.原町にも労務相談所 警察署で設置

9.18. 原町紡織工女 チフスに罹る 原校理科の実験 トロの轢れ重傷 蚕物商

11.2.原町は賑ふ 農蚕校落成祝賀 原町処女会
11.10.浪江十日市広告 原町小学校の試み校外巡視施設
11.5.怪賊原町局を襲ふ
11.17.原町双輪競技 優勝佐藤諭
11.20.原町局を襲ふた為替用紙の盗賊 小高分署に逮捕さる
11.20.浪江十日市 小学校落成記念号

12.5.盛況に向った原町の機織業
12.6.少年少女の雄弁 小高の少年雄弁会 日本の二十倍もある南米の大富源
12.15.歳末の原の町 原町クリスマス 薫陶園美談
新しく開場した国営バッカメキ猟区
12.20.大暴風で原の町地方被害
12.22.原町物産を平和博に出品
12.15.薫陶園 歳末の原の町

大正12年福島新聞
5.5. 連合観桜会 原町警察署と原町小林区
6.19 夜ノ森公園の旅舎で 男女の事務員が情死 破境の裏に秘められた仮寝の夢

大正13年民報
9.28.相馬中村の猫騒動 ハネ銭 二銭上がって十二銭に 伊勢屋新開など一流どころは上がりも莫大

福島毎日新聞 大正14年
10.30.原町芸妓温習 旭座に 出演玉子、操、茶目、ぽんた、色子、小菊、まねき、栄子、小僧、桃子、三奴、君香、雲雀、つたよ。
14.11.18.鹿島町東座に於いて
11.24.大人気の各館興行 浪江町十日市の前景気
12.1.新山会館烈風の為め倒壊す 三十日午前三時頃
12.27.双葉郡新山長塚電話開通 広告 一覧表

福島毎日新聞 大正15年

1.17.小高座で火防宣伝映画
1.20.チャリネ劇団から窃取 原の町に開演中

9.14.原町の大相撲

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