さやうなら帝都、勝つ日まで

お風呂の疎開児童東京から相馬地方への学童集団疎開記録

お風呂を作って奉仕
原町駅通り青田栄氏は西山旅館や昭和館に止宿してゐる疎開学童五十二名が宿に風呂がなくて困ってゐるのに同情し自宅裏に湯殿を建て毎日午後三時半から五時まで無料入浴せしめてゐる。
廿五日、六人が一度に入浴できる大きなもので青田氏が経営の製材工場の余分な蒸気を利用したもの、青田氏方の話「疎開の子供さん以外はお断りします、営業の湯屋さんからうらやまれますから」(9月29日毎日新聞)

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