小高駅 小高町史より
 鉄道建設工事がはじめられたのは「日清戦争」直後の明治二十八年頃。当時半谷六郎、五六歳。日本鉄道会社の下請けであった町の土建屋、時田忠治の請負で、岩迫のトンネル開削のズリを数台のトロッコで、小高川に架けられた仮橋を渡って、低地の田圃に運搬していた。請け負の「時田忠治」は当時上町の、重郎治よりも上手にあり、郡役所まがいの洋館二階建の家に住んでいた。(註)現在彼の後継者は小高町にはいない。
 約四か年の工事を終えて三十一年五月十一日の開通を迎えた駅舎周辺は人家はなく、田んぼが続いており、あちこちの低地には葦が茂っていた。
 開通式には、沿線各地の部落から「踊り子」等もくり出して、祝賀行事もおこなわれ、その日一日だけは無料でサービスしてくれた。通常小高―原町間の運賃は六銭であった。
 (註)当時の汽車は箱型で真ん中の通路がなく車両全体に出入り口があり、椅子は「たたみ張り」、夜はランプをつけて走り、昼間トンネルに入れば真っ暗闇である。
 切符は上等席と下等席に分けられ、待合室も上、下の二つに区分されていた。(速度は時速二八キロ)この頃の日雇い賃金は二五銭。新入りの駅夫二〇銭。米一升八銭だったといわれる。

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