はらまちの100年は様々なテーマがあり、またがっている。
そして100年ストーリーは、これからも続いていく…
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- 岡和田甫詳伝
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- 松本孫右衛門新聞資料集成
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- 湊キサ 昭和15年に101歳で死んだ戊申戦争の目撃者
- 田原徳
- 相馬の伝説 渡部毒楼
- 相馬義人 2
- 相馬郡より 15 佐藤弘毅
- 相馬郡太田村の明治八年の戸籍
- 石川正義について
- 遠藤みつ
- 野葡萄 俳句雑誌
- 鈴木安蔵博士憲法論文集
- 門馬尚経(もんま・なおつね)教育研究
- 門馬尚経(もんま・なおつね)経歴
- おはようドミンゴ もくじ 1~71
- たった一人の東北論
- 半谷清寿 著述による闘い
- 半谷清寿、商人になる決意す
- 半谷清寿の氏神扁額の揮毫
- 友人の栄達 よそに見ながら
- 夜の森開発の礎石 但野芳蔵
- 大正2年 小高空前の賑ひ 磐城水電開業式
- 大正2年 野馬追日程の紛擾
- 宗教「職業宗」に帰結
- 将来の東北
- 小高出身の松本剛さんからの電話 2016.2.7.
- 小高銀砂工場履歴書
- 島尾敏雄、米作立国を批判
- 忘れられた伝記 半谷清寿
- 思ひ出 半谷六郎 昭和18年
- 戦争景気で活況
- 明治神宮東北奉建の議
- 明治神宮東北奉建の議 2
- 昭和3年御大典のころ
- 東北の人 伊与田圓止 後書
- 東北研究の各論と半谷清寿の発掘
- 清寿の東北減租論とひげ郎の視察外記
- 火の祭り起源
- 相馬郡の羽二重機業沿革
- 雨の相馬 其の九
- 雨の相馬 其の四 稚葉生
- たった一人の東北論
- カミカゼってなあに?
- 26 ホタル 中野磐雄少尉追悼会
- カミカゼ中野称賛の続報 昭和19年11月民報
- ばんぼう
- フクシマ・ノート#7 第二の敗戦と日本的特攻の狂気再び
- 中野磐雄の少年時代
- 中野磐雄の手紙
- 中野磐雄は19歳だった
- 予科練入隊二年目の手紙
- 傷ついた翼たち カミカゼの真実
- 原町海友会
- 原町第一小学校校歌
- 古山愛子の特攻隊員の思い出
- 古山正夫の出征
- 台湾からの手紙
- 大島基重 カミカゼ同級生最後の慰霊祭
- 小学校同級生代表 大島基重
- 彩雲と天山
- 慰霊祭趣意書
- 斎藤文雄の追悼文
- 日本ニュース 第232号「神風特別攻撃隊」を映す
- 早川英夫 昭和19年
- 早川英夫兄、故郷訪問の低空飛行
- 早川英夫経歴
- 昭和19年11月の新聞報道
- 昭和19年12月の新聞報道
- 昭和19年の南相馬
- 最後の偵察飛行
- 沖縄戦の最期 6月25日 早川英夫散る
- 海軍予科練の片寄守正も「天山」通信兵で沖縄で戦死
- 海軍報国号の命名式
- 海軍特攻隊比島作戦 福島県出身戦死者名簿
- 海軍特攻隊福島県出身戦死者名簿 太平洋方面作戦
- 海軍特攻隊福島県出身戦死者名簿 沖縄作戦
- 海軍特攻隊福島県出身者名簿
- 海軍神風特別攻撃隊「敷島隊」 映像 日本映画ニュース
- 海軍艦上攻撃機「天山」の通信兵片寄守正
- 片寄守正「天山」偵察兵も沖縄戦で戦死した
- 玉砕の島
- 神風中野磐雄の同級生大島基重の追想
- 神風特攻隊第一号の慰霊祭
- 神鷲 中野磐雄 昭和19年12月
- 神鷲慰霊祭
- 讃頌歌
- 軍神の母
- ドキュメント相馬野馬追
- 000 プロローグ
- 000ヴィスカイノ、会津藩に入る
- 000花は相馬に実は伊達に
- 001 慶長16年の津波
- 002 岩本由輝の視点
- 003 岩本由輝の視点 つづき
- 004 一行、気仙沼沖で津波に遭う
- 005 ビスカイノ、相馬の海岸を視察す
- 006 ビスカイノ、中村城下を訪問す
- 007 ビスカイノ、小高、熊川(原発ポイント)に至る
- 008 政宗意外史
- 009 61 続武将意外史
- 009 62 駒比べ
- 009 63 三成の助け舟
- 009 64 ウサギと亀
- 009 65 78 伊達と相馬の五十年戦争
- 009 66 人質合戦
- 009 66 石田三成の温情
- 009 98 愛姫の母の生涯
- 009 99 戦国人
- 01.はじめに
- 02 軍師の辞表
- 03 母衣論争
- 04 鎧の呪い 上
- 05 鎧の呪い 下
- 06 甲冑師
- 07 読者の声
- 08 首が飛ぶ
- 09 全国将門会
- 10 将門誕生の因縁
- 100 二上英朗編集長の相馬野馬追を追う
- 101 小高城は守谷城がモデルか
- 102 古代中世・歴史ロマンの旅
- 103 相馬胤道教諭が新考察
- 104 平地にぽつんと立つ城を造って、なぜ山城を築かなかった
- 105中世相馬氏の祖墳をたずねる
- 106 戦争と野馬追
- 107 野馬追の風景
- 108 相馬野馬追「戦後の空白」というフィクション
- 109 改変された野馬追祭
- 11 将門の馬
- 12 神となった将門
- 13 不忘乱の精神
- 14 不忘乱の系譜
- 15 系図の事
- 16 幻の天覧野馬追
- 17 天覧野馬追とは
- 18 興亜馬事大会
- 1827年の野馬追 水戸藩士の記録
- 19 思わず天皇が立ちあがって
- 1985
- 20 愛馬市中行進
- 21 平将門の土地
- 22 祟る神
- 23 覇王の意思
- 24 新たな試み
- 25 将門太鼓
- 26 螺と太鼓と
- 27 野馬追を地域個性に
- 28 69 火付け役
- 30 密偵
- 31 旗の交換
- 32 松本孫右衛門と落馬の手柄
- 33 旗の美しさ
- 34 研究家門馬博文
- 35 旗の数
- 36 野馬追一千年祭
- 37 駒村の見物記
- 38 昭和十二年七月十二日
- 39 撲天鵬の印象
- 40 極彩色の絵巻物
- 41 日程論
- 42 野馬追の句
- 43 裏方・楽屋・縁の下
- 45 民謡家杉本栄夫
- 46 堀内秀之進
- 48 戦国自衛隊
- 49 私が・棄てた・女
- 51 すばらしきかなキネマの天地
- 52 野馬追列車
- 53 独眼竜政宗と相馬
- 54 相馬の殉死
- 55 相馬と会津の槍と首
- 56 相馬の武士道
- 56 相馬の武士道
- 57 政宗の恩返し
- 58 領地没収の危機
- 59 覇王の打算
- 60 覇王の意思
- 65人質合戦
- 70 祭りは生きている
- 71 さらば相馬の地 帝王ペガサス
- 72 野馬追町長
- 83 郷大将
- 84 相馬野馬追小考
- 85 藤田魁 幼時からの夢
- 86 藤田魁の一生
- 87 教え子
- 90 明治初期の野馬追
- 91 鉄道と野馬追
- 92 1900年の小高の野馬掛祭
- 92 大正3年 天下の壮観相馬野馬追
- 92 大正5年 東久邇宮 野馬追を台覧す
- 92 大正5年野馬追
- 92 明治44年 小高の神燈
- 92 明治から大正にかけての野馬追取材記者
- 93 大正5年の野馬追
- 93大正時代の野馬追日程論争
- 94 平成5年 野馬追
- 95 大正5年の野馬追「海岸」タイムス
- 95 大正7年 東宮殿下のちの昭和天皇が野馬追を車窓に台覧す
- 96 昭和4-5年の野馬追ロケーション
- 97 昭和7年4月野馬追祭に馬券の制度
- 98 相馬野馬追の映像記録
- 99 ドキュメント相馬野馬追 あぶくま新報記事一覧
- のまおい歳時記
- 中世相馬氏の鎌倉の祖墳をたずねる
- 中村移城
- 丸森町を行く
- 文化を愛した浪江のお殿様
- 旗の交換
- 板倉藩と相馬藩
- 桜田烈士遠征の歌 ひげ郎作歌
- 浪江の奇人 紺野清輔 野馬追行進曲
- 相馬家当主の実母相馬雪香さんの自叙伝
- 野馬追ものがたり1
- 鎧の呪い
- 霊山 中世ロマン「太平記」の舞台を行く
- 雲雀ケ原ものがたり
- はらまち意外史 総目次
- 原ノ町機関区100年
- 南相馬市博物館SLシゴマルものがたり
- 大正年間 鉄道新聞資料集成
- 小高路線の決定と住民の確執
- 「ひたち」物語
- 「常磐線の開通まで」
- 「桃内」駅誕生にかけた福浦村民の願い
- ● 小高久ノ浜間鉄道開通 明治31年8月27日
- 3月10日 平空襲 敵機我が上空を通過す
- 7月19日 学生列車襲撃
- C6219北上号 2
- s30 昭和天皇夫妻、原ノ町駅にご来訪
- ある原町機関区の機関士俸給の変遷 戦後編
- お召し列車の正機関士に指令される
- お召し列車の正機関士に指令される 若林ノート
- キュウロクをバックに
- コメの消費価格 若林ノート
- そのごの福相鉄道などの動き
- デイーゼル特急はつかり号 デビュー
- マッチ箱とランプと
- ミカド型機関車
- ゆうづる三代記 井川 豊
- 中村駅と富岡駅の消息
- 佐藤一水 車窓の二十分 明治35年
- 便意をこらえて 明治の汽車の旅
- 初期の鉄道事故
- 初期の鉄道事故 2
- 千年パラダイムの中の福島県浜通り
- 原ノ町、鹿島駅の開業式
- 原ノ町機関区を拠点に活躍した蒸気機関車たち
- 原ノ町機関庫百年物語
- 原ノ町駅開業と少年楽隊
- 原ノ町駅頭の天皇
- 原町軌道 特許さる 大正12年
- 原町駅開通三十年 昭和2年
- 去りゆくものはすべて美しい。
- 国鉄原ノ町機関区機関士の俸給
- 大正10年 鉄道関係記事
- 大正11年 キュウロクをバックに
- 大正1年福島新聞
- 大正の時刻改正 鉄道興隆時代
- 大正の鉄道記事
- 大正年間の鉄道記事
- 大正時代の原ノ町機関区 童顔の少年「釜磨き」
- 大野駅の開設
- 小高同盟倶楽部発会式 明治31年
- 小高駅 小高町史より
- 小高駅 小高町史より
- 常磐特急ひたち号 hitachi super express
- 常磐線100周年の軌跡
- 常磐線100年でボンネットひたちは走らなかったいわき以北
- 常磐線スケッチ 明治42年
- 常磐線久の浜、岩沼中村間開通す
- 常磐線開業をレポートした吉田菊堂
- 常磐線開通前夜
- 常磐鉄道の敷地 買収の経過
- 幸田露伴、小高から原町へ
- 幸田露伴が描いた原町の夜
- 幸田露伴の「うつしゑ日記」にみる浜街道
- 幻の福島原町間の鉄道が予定されていた
- 幻の福相間電気鉄道
- 急行北上号の脱線転覆
- 戦争で女子の社会進出
- 戦争と鉄道 国鉄と二十四時間体制
- 戦争中の駅の改築
- 戦後の列車ダイヤ
- 戦後の時刻改正 ● 特急伸長時代
- 戦後の時刻改正 特急はつかり
- 戦後の時刻改正2 近代化推進時代
- 戦時中の鉄道と駅改築
- 新地駅の津波 311常磐線 普通電車244Mの乗務員
- 日清戦争に歩いて行った兵士たち
- 日鉄会社と地元との訴訟と紛擾
- 明治26年 中村町の停車場誘致運動
- 明治26年 小高村をめぐる鉄道布設敷地売買の状況
- 明治29年 原ノ町停車場の位置決定
- 明治29年 浪江の停車場位置はいまだ決定せず
- 明治30年小高実業会が創立す
- 明治31年開設当時の新聞見出し
- 明治33年、日鉄職工の同盟罷業
- 明治34年の話題 百円紙幣の落とし物
- 明治40年 中村が「列車発着変更請願」
- 明治の時刻改正
- 昔の駅長の服装はいかめしかった
- 昭和14年 木炭バス登場す
- 昭和24年 下山事件と木戸駅
- 昭和3年の原ノ町機関庫
- 昭和3年の原ノ町機関庫 御大典記念撮影
- 昭和の時刻改正 ●鉄道黄金時代 戦中時代
- 昭和の陸前浜街道
- 昭和天皇の原ノ町駅巡幸
- 最初の犠牲者
- 木戸駅で兵士を送る
- 松永アイスクリーム物語
- 桜田門外の変報
- 機関士たちの殉職
- 浜街道筋の停車場争い
- 海岸線の開通
- 清寿への攻撃 つづき
- 湯たんぽの暖房と赤ケット
- 燃える石
- 特異な性格をもつ常磐線のあらまし
- 狐狸が機関車に化けた話
- 相馬市長は特急ひたちに乗らない
- 磐城太田駅の寂寥
- 磐城太田駅長 昭和26年~29年
- 福島原町間鉄道の委員たち
- 私の少年の頃と機関区時代の事 荒勝雄
- 菊堂記者は鈴木余生の家に泊まった
- 西から太陽が昇る土地 常磐線の錯視ポイント
- 記念すべき最初のストライキ 明治31年
- 車窓の二十分 佐藤一水
- 農民の無知が鉄道に反対したという原町市史の無知
- 進駐軍列車
- 野馬追 天皇 常磐線
- 野馬追臨時列車の増発
- 野馬追臨時汽車 明治32年~
- 鉄道に反対した河野広中
- 鉄道は自動車に駆逐された。昭和42年も、平成27年も。
- 鉄道人生の華の時代 小河衛
- 鉄道院原町驛
- 間違いだらけの原町市史の記述
- 駅前に緑門が建った原ノ町駅開業式
- 駅夫という仕事
- 高、小高駅の開業式
- 原町憲兵分隊秘史 もくじ
- 学童疎開 さやうなら帝都、勝つまでは
- 学童疎開 さやうなら帝都、勝つまでは 序章
- 渡辺茂代子の手紙
- s20 再疎開の続行
- いなごとり
- さやうなら帝都 あとがき
- 中村屋の家族
- 原町小高の長崎第四国民学校の宿泊先一覧
- 学童集団疎開 決定から出発まで
- 扇屋旅館
- 昭和19年5月27日 毎日新聞 福島版
- 昭和19年9月21日毎日新聞 福島版
- 昭和館と幾世橋旅館の疎開児童
- 疎開先の空襲 再疎開を迫ったもの
- 疎開児童についての毎日新聞記事
- 真野川にて疎開児童たち
- 神尾千鶴子 十人の世界
- 神尾千鶴子日記
- 神尾千鶴子日記 四年生 昭和20年4月~5月
- 神尾千鶴子日記 昭和19年
- 神尾千鶴子日記 昭和20年
- 神尾千鶴子書簡
- 神尾裕書簡
- 秋燕日記 加藤美喜子日記 昭和十九年乃至二十年
- 突然の空襲 そして再疎開
- カメラ携行禁止 相馬野馬追祭 昭和18年
- 仙台俘虜収容所
- 郡山高射砲隊と第一四特警隊
- 防衛省戦史資料 磐城陸軍飛行場について
- 学童疎開 さやうなら帝都、勝つまでは
- 原町昭和史戦後編
- 民主相双と鈴木学
- 佐藤政蔵「歌のはらのまち」
- 「戦争末期の原女と新制原町高校の発足」星千枝2
- アメリカ進駐軍の護送囚人が逃げた! 昭和30年
- バー・グリーン誕生す 昭和31年
- はらのまちダウンタウン物語
- プランゲ文庫にみる戦後出版物
- 南相馬市の漁業
- 大人気の街頭録音 小高町 S23
- 大杉産業の火事 s32.12.13
- 富岡の鞍懸山レーダー
- 新しい国語教科書の「若菜集」の感動 星千枝
- 昭和35年 1960 自転車商工協同組合名簿
- 松永のアイスキャンデー物語
- 松永ミルクパーラー
- 相馬野馬追「戦後の空白」というフィクション
- 進駐軍がやって来た
- 鈴木安蔵の甥鈴木学が戦後発行した「民主相双」
- 雲雀が原の進駐軍に事務引継ぎ
- 原町短波とその時代
- 原町私史03 昭和史への旅 戦無派のタイムトラベル
- s01 のまおい昭和史
- s03 御大典記念原町地方紹介映画
- s04 雲雀が原で航空ページェント
- s05 賑わった原町競馬場 雲雀が原に鉄骨スタンド出現
- s07 凱旋将軍植松練摩
- s08 衆楽園と秋市
- s09 東北大冷害で寒い夏
- s10 雲雀が原でモトクロスと花火大会
- s11 雲雀が原で全国ラジオ実況放送
- s12 歴史のフィクションだった野馬追一千年祭
- s13 事変下の相馬野馬追
- s14 相馬商業学校誕生す 昭和14年
- s15 幻の皇紀2600年
- s16 開戦の年の野馬追と昭和天皇
- s17 ナチスドイツのオットー大使来る
- s18 昭和18年 戦時下の決戦のまおい
- s19 昭和十九年 中止されても三百騎の出場
- s20 原町空襲と米軍進駐
- 鈴木克衛飛行士の郷土訪問飛行
- 「伝部隊」終末記・当時の参謀長に聞く
- 88 式偵察機、雲雀ケ原に飛来す 昭和6年
- s17 雲雀が原を飛んだ陸軍97式戦闘機
- s2 昭和2年 壮烈なる野馬掛式
- s3 鈴木克衛が郷土訪問飛行
- s6 雲雀ケ原の飛行場 実現ま近し
- ガス祭りにて
- ガ島での正月 昭和十八年
- しゃぼん玉の唄
- 交流
- 交流 2
- 元原町飛行場用地開墾問題ニ関スル件
- 分教場開設の頃 昭和史への旅 原町陸軍飛行場
- 北辺の落日 昭和史への旅 最終回 原町私史3
- 原爆体験を掘り起こす 昭和史への旅1983
- 原町の空襲と防空
- 原町の空襲と防空
- 原町海友会の中野慰霊祭
- 原町私史 記事全目録
- 原町陸軍飛行場・防衛省資料
- 原町陸軍飛行場アルバム
- 原町陸軍飛行場アルバム2
- 原町飛行場を飛んだ飛行機たち
- 原陽会
- 展示会場にて 安藤慈氏の話 昭和史への旅
- 昭和10年に飯樋村に陸軍の偵察機が不時着
- 昭和9年 アマチュア写真愛好会「光生会」の発見
- 昭和史への旅 第三章 「幻の皇紀二千六百年 原町紡織工場と原町陸軍飛行場」
- 昭和史への旅 あとがき
- 昭和史への旅 追々記
- 昭和史への旅 追記
- 陸軍愛国第46号「福島号」が来た
- 原町空襲の記録 第一部
- 00 原町空襲の記録 序章
- 01 鈴木小松先生
- 02 学徒斉藤和夫さん
- 03 朝の食堂で
- 04 原町防空監視隊
- 05 最初の犠牲者
- 06 女子寮・事務所
- 07 大原ヨシ子さん
- 08 伊賀慶一郎日記 昭和二〇年二月十六日の原町空襲の記録
- 11 乙女の白い腕
- 13 仇はきっと討つ 昭和二十年二月十九日民報
- 17 残雪の中を
- 18 勲章
- 19 梅雨空の下で
- 19 梅雨空の下で つづき
- 20 まためぐる夏
- 21 門馬日記のこと
- 22 また巡る夏 原町空襲の記録取材日誌 1977年7月
- 26 女学生 原町紡織工場で
- 27 つぶれた弾丸 林七郎さん
- 伊賀慶一郎日記 昭和二〇年二月十六日の原町空襲の記録
- 門馬日記のこと 相馬農学校雲雀が原実習農場
- 原町空襲の記録 第二部 もっとも長く暑い二日間
- 空襲の長い一日
- 30 前日 八月八日
- 31 サイパン島陥落
- 33B 8月9日の原町空襲
- 34 無線塔で
- 35 原町紡織工場で
- 37 高橋イクさん 8月9日の犠牲者
- 37B 高橋イクさん 2 原町空襲の記録
- 38 油屋の屋上で
- 39 石神村役場で
- 41 8月10日朝
- 42 検査掛詰所
- 44 悲劇の機関庫
- 46 模型投炭場
- 47 機関区事務所
- 48 講習室の天井
- 49 志賀照雄さん
- 50 二上兼次 昭和20年8月10日のこと
- 50B はらのまちグランドゼロ 1945810B
- 51 新妻嘉博さん
- 52 機関区助役小林安造さん 原町空襲8月10日
- 53 高橋直さん
- 54 別れの鼻血 新妻クラさん
- 54B 別れの鼻血 火葬場で つづき
- 56 相馬工業学校
- 56B 相馬工業学校 つづき 鈴木勝利氏インタビュー
- 57 帝国金属原町工場
- 59 代用教員
- 60 原町小学校の被害
- 61 戦時下の子供たち 奉安殿と御真影
- 62 原町飛行場で 皆川証言
- 62B 平躰國友 昭和二十年八月十日の原町空襲で戦死。17歳。
- 70 生きていてよかった
- 73 おわりに 原町空襲の記録
- 8月12日
- 8月14日
- 8月15日
- はらのまちグランドゼロ 原ノ町機関区空襲の記録」
- 八月九日の空襲で
- 原ノ町駅で 昭和20年8月9日原町空襲
- 原町憲兵隊が送検した戦後の混乱時の飛行隊反乱事件
- 原町空襲と原女生
- 家の人に聞いた戦争の話
- 小高空襲 半谷昌の手記
- 平和教育のために
- 松川浦の空襲記録
- 校長室の銃弾
- 梅雨空の下で
- 火葬場で
- 火葬場で 原町空襲の記録・第二部
- 無人の町 1945年7月20日 原町空襲の記録
- 無人の町 shouwa 20
- 独立整備隊
- 相馬工業学校メモ 昭和19年
- 終戦30周年 編集後記
- 菅野清二氏が逝去
- 郡山空襲
- 防空監視隊本部
- 飛行場跡地で
- 大正編
- 石神役場建設は大正末期
- 「東京灰燼記」あとがき
- 半谷菊衛(石川正義)とその時代
- 原町商界評判記 大正4年
- 原町評判記 大正4年 福島日日
- 国宝にも準ずべき泉観音盗まる 大正12
- 大正10年 歳末の原の町
- 大正12-13年の岡和田甫回想記
- 大正14年 郡役所廃止で相馬の合併問題論議
- 大正14年新聞目次
- 大正14年新聞見出し
- 大正2年の野馬追祭 相馬子爵の二姫君が参観
- 大正3年 小高町空前の賑(にぎはい)
- 大正3年 相馬郡役所の仕事
- 大正4年 小高座の芝居 福島新聞
- 大正5-6年 福島日日
- 大正5年野馬追
- 大正6年 東久邇宮殿下の野馬追見学
- 大正7年 福島日日
- 福島新聞 大正1、2年
- 福島新聞 大正12年
- 雲雀が原で初めて飛行機というものを見る
- 松本孫右衛門、天然痘から原町を救う
- 明治篇
- はらのまち写真史研究 序論 最古の写真群
- Msp はらまち自治・消防史 プロローグ
- 「はらまち市」の駅名が「はらのまち」になった由来
- ○ 相馬地方の製糸 明治26
- ○中村町の戦勝祝賀
- M0B 明治の原町 水車と中堀のある風景
- M14 富田高慶、訴えられる
- M41 大正天皇が東宮時代に野馬追を台覧
- M42 大韓帝国皇太子来る M43上洛野馬追で銀座行列
- M43 地球最後の年の上洛野馬追
- M45 石神の山火事 明治最後の野馬追
- はらのまち繁盛記
- はらまち100年史 目次
- プロローグ桜田門外の変
- 明治35年 小高通信
- M0 はらのまちの誕生
- M00 官軍が来た
- M02 野馬追祭礼の復活
- M04 百姓一揆の鎮圧で軍事行動が忙しかった中村藩兵
- M05B 明治編番外 佐藤精明小伝
- M05 最後の寺子屋と最初の原町小学校
- M08 太政官官許と生前顕彰碑立った太田政輝
- M29 相馬の郡都、中村町
- M31 相馬中学事件で原町から県庁へ400人デモ
- M32 松本孫右衛門、福島民報を救う
- m33 町民いこいの夜の森公園開設さる
- m34 町の名になった佐藤太之助
- M36 相馬農業学校つくって叱られた青年町長徳助
- M37 日露戦争報道と野馬追 中村原町の提灯行列
- M40 はらのまち鮭川ものがたり
- M41 徳助ひげ郎おおいに原町売り出す
- M44 のまおいに満艦電飾がついた!
- M45 明治45年 原町に自転車18台
- もう一つの相馬移民 日系移民百年
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