マッチ箱とランプと

当時の客車はマッチ箱と言われた。東京神田須田町の交通博物館には復元車が展示されていた。
三等の客車は両側に5つづつの扉があり、ここから乗り降りする。中に入ると両側に木の長椅子があり、ひとつの椅子に五人すわれ座れるようになっている。つまりひとつの扉ごとに客室になっていて、座席には五人づつが向かい合って座ることになる。客車全体で、この形のものが5つあるから、50人が乗れるわけである。客車を縦に通り抜けることはできないし、便所もない。天井には暗いランプが二個ついていて、夜間は人の顔がほのかに見えるくらいであった。暗くなると駅夫が屋根の上をあるいては各客車の屋根からランプを吊るす。
停車場には必ず、このためのランプ小屋があった。
夏目漱石の「三四郎」に、明治の鉄道の様子が描かれている。
「もとから込み合った客車でもなかったが、急に淋しくなった。日の暮れたせいかもしれない。駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯の点いた洋燈(ランプ)を挿し込んで行く。三四郎は想い出したように前の停車場で買った弁当を食い出した。
車が動き出して二分もたったろうと思うころ、例の女はすうっと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った…・便所に行ったんだなと思いながらしきりに食っている」
「停車場」には。ステーションと読みのルビがふってある。
「三四郎」は明治41年の作品で、ここに登場する汽車は東海道線ですでに列車に便所があった。しかしながら、汽車に便所が設けられたのは、開通後しばらくしてからのこと。開通当時は汽車に便所がなかった。

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