はらまち100年史 目次
慶応4 戊辰の兵火、原町宿場を焼く
1868 相馬藩の沿道を焼き払ったのは官軍でなく仙台兵だった
明治2 相馬野馬追祭は生き残った
1869 相馬野馬追は軍事訓練でなく純粋な祭礼になった
明治3 相馬の女買いと原町遊郭の始め
1870 西軍の支持で遊郭が出来た。伊達出身こせんが原町花柳界濫觴
明治4 出兵と鎮撫で忙しかった農民暴動
1871 東京と進達に出兵して警戒鎮圧。領内農民もしばしば蜂起
明治5 江戸最後の寺子屋と明治最初の学校
1872 断髪令で江戸時代に別れ、全国に学制令が布かれたが。
明治6 原町郵便取扱所が設置・地租改正
1873  地租改正。地価の百分の三が地租となった。
明治7 三社合同の神事で野馬追が復興
1874 藩解体のあとは神社がリードした相馬野馬追の存続と運営
明治8 太政官の官許うけた相馬野馬追
1875 相馬は野馬追の地方。旧来の祭りの安堵で地域個性を確保した
明治9 三県が合同して福島県が誕生す
1876 浜通り地方を管轄した磐前県は中通りと会津と統合されて福島県に。
明治10 富田高慶、士族救済に興復社を結成
1877 相馬旧藩士の土着は領地の農民の援助によって成り立った
明治11 ユニーク方式で土着した相馬武士
1878 相馬武士の親睦団体の北辰社、自由党民権運動の核になる。
明治12 宇多郡行方郡が設置され郡役所誇る
1879 区会所が戸長役場制になる。民選により戸長が任命。
明治13 大須賀郡長の民俗学的郡内視察
1880 初代行方宇多郡長は民俗の名を創始した学者だった
明治14 中村大火で自慢の郡役所焼失
1881 郡都を誇る中村町の600戸が焼失。歴史に残る大火災だった
明治15 原町大火で本町のほとんど焼失
1882 宿場町原町の街道筋の町並みの大半が失われてしまった
明治16 再度の大火で本町の残りを焼失
1883 残った町並みも2年続きの大火で焼失。いよいよ消防組が誕生。
明治17相馬子爵誕生と加波山事件のテロリスト死刑
1884明治政府は貴賎を設けることで国家体制のピラミッドを作った
明治18 報徳記によって神になった二宮尊徳
1885 富田高慶の報徳記が完成し、二宮金次郎の銅像ブームを呼んだ
明治19 真宗移民の寺、原町別院できる
1886 北陸からの浄土真宗移民たちは東本願寺原町別院を建てた
明治20 富田高慶、初めて汽車に乗ってみる
1887東北線が開通し富田は湯治のため岩沼から汽車に乗って温泉へ
明治21 磐梯山の大噴火が遥か西に見えた
1888 突如、磐梯山が噴火し、阿武隈山系のかなた相馬人も驚いた
明治22 村制実施で中村が町に、原町が村に
1889 中村が町になるのは当然として、原町が村になる不思議
明治23 国会開設で初めての総選挙体験。
1890 富田高慶、肖像写真を残さず死去する 汽車に乗る
明治24 民権運動家岡田健長が県会議長に
1891 河野議長のもとで副議長だった岡田は筋金入りの民権運動家
明治25 芝居小屋原町座が開設された
1892 常磐鉄道敷設規制同盟会がわらじ履きで上京請願
明治26 明治のお家騒動だった相馬事件
1893 全国を騒がせた相馬事件。メディアは怪人物錦織に翻弄された
明治27 日清戦争に歩いて行った兵士たち
1894 常磐線は未開通。われらの父祖たちは岩沼まで歩いていった
明治28 相馬中学問題で原町と中村の百年戦争勃発
1895 相馬双葉の郡民が決議した原町誘致は、中村の陰謀で覆される
明治29 相馬郡が誕生して紛争絶え間なし
1896 官吏の長たる郡長と地元民のあつれきが頂点に達した
明治30 原町村から原ノ町へ町制実施
1897 鉄道駅に残った原ノ町の名は、明治の町村制実施の名残り
明治31 原ノ町機関区の設置で発展の機運
1898 平から仙台間に原ノ町機関区ができて、産業をおこした。
明治32 四葉の辻で説法し基督教信徒誕生
1899 天理教もキリスト教も歩いてやってきた。日曜学校がスタート。
明治33 鉄道唱歌にも載っている原ノ町駅
1900 佐藤徳助町長も地方紹介の「野馬追唱歌」を出版した。
明治34 北海道移住地で生きていた興複社
1901 銀行もできた。しかし、貧しさゆえ移住せざるをえない家族が続出。
明治35 東北大凶作は天明天保の飢饉以来
1902 肉親の肉まで食らった飢饉を連想。米のとれない東北の危機。
明治36 補修学校作って県から叱られた町長
1903 青年町長徳助は、戦争の財政難の下でも学校を建設し県に叱られた。
明治37 日露戦争の激戦と原町遊郭の殷賑
1904 二〇三高地に兵士の死骸累々。銃後では女体に群がるエロ爺ども。
明治38 戦勝の旗行列と四葉辻の凱旋門
1905 四葉の辻に凱旋門がたった。模擬軍艦も登場して祝賀行列。
明治39 初めてみた活動写真の百歳の記憶
1906 押釜の百二歳の小沢トリさんは、日露戦争の無声映画を見た
明治40 一網で3000匹捕った鮭漁の賑わい
1907 新田川に鮭養殖技術を導入し原町の秋の漁は名物になった
明治41 嘉仁東宮が野馬追見物で原町訪問
1908 滞在時間は3時間。皇室ニュースで一躍、全国に紹介された。
明治42 韓太子は原町に来ず、野馬追を見ず
1909 絵はがき業者、写真師が大挙して原町に押し寄せたが・・・
明治43 地球最後の年、上洛野馬追の騒ぎ
1910 ハレー彗星の回帰で滅亡も予言された陰で、工女の放火事件。
明治44 電気開通で電飾輝く夜の森公園夜景
1911 原町に電話が開通し、電気がやってきた。町民の丘は真昼の輝き。
明治45 明治大帝の崩御で明治神宮の誘致
1912 小高の半谷清寿は、孤軍奮闘。東北開発に獅子吼した。

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