相双新報、という紙題のタブロイド地域新聞が昭和50年から原町を中心に発行された。発行者は黒川満寿男という九州は熊本出身の男性である。
のちに浜通り日報と名前を変えて、日刊のブランケット新聞(土日は休刊)を発行した。
最後は、昭和60年頃に夜逃げした。部下の女性を一緒に連れて、炊飯器とテレビを持って。あとにはリースで南仙台から印刷機を支払うべき借金を残したまま。
横村タイヤの政治好きな男たちのサロンで、多くの人間を巻き込んで、夜逃げしてしまった黒川氏の金の不始末の後始末をどうするか、話題になっていた。

南仙台の印刷所から1500万円の印刷機を借りたもので、日刊新聞を印刷し、製版担当の主婦と、中学生を集めて町中に配達していた。印刷はみずから毎日担当した。

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