あとがき

 私が高校生の時に原町市を中心とする浜通り地方の文芸同人会「海岸線」のメンバーとして小説を発表して活躍した小野田(旧姓渡辺)茂代子さんがいた。彼女は鹿島町の中村旅館の娘で、戦時中に滞在していた東京都豊島区の疎開児童たちとの交流があった。小高町、鹿島町をふくめた原町空襲のあと、再疎開して土湯の旅館や会津の麻耶郡に移動した。
 宿の経営者一家渡邊家の親切な「お姉さん」として、親元から離れて暮らしている千鶴子さんとは肌の合う心の支柱でもあった。
 「二十二日汽車の窓からサヨナラ ゝ  と手をふる皆さんの可愛姿の どうしても涙が出てなりませんでした」
 疎開児童と地元の受け入れ手との、最も端的な感情を表している哀惜の文節であろう。

127 七月四日
福島県耶麻郡木幡村上林第一学寮 神尾千鶴子様
中村屋 渡辺茂代子
千鶴子さん今日は御便ほんとうに有が度ふ御座居ました
無事山都に着いたとの由何よりでしたね、
可愛い千鶴子さん等とお別れして早や十日になりましたね、
皆さんの行った後の仲村屋は嵐の後の様な静さですよ、
大部山都の方にもなれた事でせうね いかがですか
皆さんが行けば楽しみなのは唯山都にいらっしゃる可愛一皆様のお便りだけです 先日一番早く田島さんからいただきました それから四五日前男の中野さんから次がいちばん好きな千鶴子さんからです
露木さん生井さん須々木さん荒川さん伊藤さんより未だ来ていません
毎日学校から帰ると嬉しいのは皆さんのお便りのある時です
相馬の方も大部暑くなって来ましたよ私も今は半袖の服を着ています
田植も出来あたり一面きれな田となりましたよ
思い出せば去年の夏始めて鹿島にいらしてから約十ヶ月の間、朝な夕な共に暮らしていざ別れるとなると悲しいものね二十二日汽車の窓からサヨナラ ゝ  と手をふる皆さんの可愛姿の どうしても涙が出てなりませんでしたでも国のためと思ふとなんでもありませんわね、
別れ近かくなってから毎日練習したオドリヤウタが今なつかしくてなりませんね 千鶴子さんはなかでも特にお上手だったわね、いただいた写真を見てはお思い出していますのよたまにほかにも似合わぬ事をいふ千鶴子さんだったわね、最期の日皆んなで裏の土手に遊びに行き朝ちゃんと田島さんと神尾さんの三人がのこされたのねそして私達が帰って来た時の神尾さんのあのベソをかいた顔が今更懐かしくてなりません
御便寄りによれば裕ちゃんと一しょの事嬉しい事でせうね、千鶴子さんのホクホク笑ふ顔が思い出されます、嬉しいでせう、心からお喜び申し上げます
千鶴子さん私の私より願ふのは先生や神尾寮母さんのお言つけをよく守ってヨイコになって下さいね、
露木生井荒川伊藤鈴木さん外中村屋の方々によろしくね、
では元気でね
神尾千鶴子様
かしこ 茂代子
あとになりましたが別れの時には色々の物有が度御座居ました
(※中村屋旅館の封筒を使用、便箋一枚、末行のみ裏面)
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長崎第四国民学校の宿泊先

相馬郡小高町 高橋旅館
双葉旅館
和泉屋
小西屋
福島屋
叶屋
原町(原町市)中野屋 現在のラフィーヌ
丸屋 ロイヤルホテル丸屋
伊勢屋 現存
西山屋 西山旅館・現存
扇屋  現存
松之湯 銭湯・現存
山八屋
山利屋
昭和屋
山木屋
中野屋(現在のラフィーヌ・元ホテル第一インではなく、本町の中野金物店・神風第一号の中野磐雄の生家。当時は下宿屋を経営長崎第四国民学校の宿泊先

2015年6月の南相馬市民交流センター・図書館ギャラリーにおける展示会「あの日の空も青かった・第二部さやうなら帝都、勝つ日まで」のための取材で交換した書簡から、伏見さんに宛てて関係個所のコピーを送付した折にお伝えした展示会趣旨をあらためてここに記しておきたい。
伏見千鶴子様
2015年3月25日
拝啓 春分をすぎて、めっきり春めいてまいりました。
先だっては、お電話でのご挨拶で、いろいろとご教示ありがとうございました。
さて、24日の電話にて、申し上げました「原町空襲の記録」のコピーを郵送いたします。
1987年夏におこなわれました豊島区郷土資料館での「さやうなら帝都 勝つ日まで」の図録の表紙を飾る伏見さまの絵は、昭和19年から20年にかけての南相馬市(旧小高・原町・鹿島の各町)および相馬市における東京都下長崎第四・第五国民学校の帝都児童の疎開状況を物語る歴史的象徴的なイメージだと思量いたします。また当時の日記、作文、ご両親らとの交換お手紙など、貴重な地域資料でもあります。
今夏、南相馬市内において、終戦70年を記念する特別展示において、ぜひとも貸与賜り、多くの市民に、平和の大切さを訴えたいと存じますので、ご考慮ください。
また展示の機会に、南相馬市を訪問していただけるとの御意志もうかがい、頼もしく今から待望いたしております。ぜひ、座談会のような席も設定すべく有志に計らって企画させていただきます。
とりあえず直接的な参考資料として、雑誌に掲載させていただいた終戦50年のときの、学童疎開に言及した記事の抜き刷りをお送りいたしますので、ご査収ください。
また、展示会の企画と稟議に提出する事前資料とさせていただきたく、お手元の日記の昭和20年の2月16日の原町初空襲に言及したページの、コピー(コンビニ店のコピーで可)を、郵送して頂きたく、お願い申し上げます。
末筆ながら、伏見さまの益々のご健勝とご清祥を祈念いたします。 敬具
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