プランゲ文庫にみる戦後出版物

戦後の昭和20年(1945)から24年(1949)にかけてGHQ(占領軍最高司令部)は占領下の日本で出版された印刷物の検閲を行った。GHQはあらゆる新聞、文芸同人雑誌、組合機関紙などを集め、反占領政策、反アメリカ、反民主主義的、軍国主義的言辞に神経をとがらせた。これらの蒐集文書の現物はメリーランド大学に一括して移され、のちに同大学マッケルデイン図書館によって保存整理された。GHQ戦史室に勤務していた同大教授ゴードン・W・プランゲ博士は大学への移管に尽力し、このコレクションは彼の名を冠されてプランゲ文庫と呼ばれる。終戦直後の占領下の日本の文化状況が分かる貴重な史料であるため、以前から日本の歴史学者たちにとっても注目されてきたが、このほどメリーランド大学と国立国会図書館の共同作業でマイクロフィルムとマイクロフィッシュに撮影され、手軽にアクセスできるようになり日本の代理店が一括販売を始めている。これら厖大なコレクションの中には福島県下のものも含まれ、原町、小高、中村などの地元で出版された印刷物もあり、すでに地元で散逸されたと思われる印刷物のいくつかを知ることができる。
プランゲ・コレクションには一般新聞、組合機関紙、文芸同人雑誌、学校新聞などがあるが、表紙にはいずれもC.C.D.(GHQ民間検閲支隊)という検印と日付が記されており、検閲のために内容やタイトルが英語で注記されており、微妙な箇所については英文で翻訳が付されている。

C.C.D.は検閲者の最底辺に位置する日本人検閲員に深く浸透し、彼らの行使する青鉛筆を通じて、被検閲者のあいだに的確に浸透をつづけた。…
…江藤淳「閉ざされた言語空間」(文春文庫)

とあるように、たしかにExaminer(検閲者)の欄には日本人名が記入されている。検閲には青鉛筆を用いたようである。マイクロフィッシュの一コマには「CENSORSHIP DOCUMENTS 検閲文書」という大きな文字の頁が挿入されている。

戦前において、日本社会では検閲が行われていたが、占領軍もまた検閲を行ったし、占領政策にとって都合の悪いものは発禁や破棄を命じた。
相馬双葉地方の出版物で発禁処分を受けたものがあるかどうか分からないが、相馬商業学校の生徒らが発行したガリ版刷りの雑誌「丘」の第三号の小品の二箇所には、「皇紀二千六百七年」という元号表記と、日本人少女がアメリカ兵と手を組んで歩いている描写の部分に傍線が引かれ、この部分だけを英文に翻訳した注記が別紙に解説されているものもあった。

小高町で発行された共産党の新聞「民主相双」では、特に注記はなし。
中村町で発行された「南米の東北人」は、創刊の通知が占領軍検閲部に葉書で送ったものもファイルされていた。宛先は東京都港区芝田村町一ノ一関配ビル 総司令部民事検閲局新聞出版演芸放送部新聞課御中 となっている。
このほかの所蔵文書
NS2719 相高 中村町
NS2738 相馬広報 中村町
NS2760 相農タイムス 原町
NS2786 相双民報 原町
NS2787 相双真宗 中村町
NJ0067 時報 中村町
NK0610 鹿島校報 鹿島町
NI0309 磐城民声 中村町
NI0286 一中タイムス 中村町
NH0930 相双タイムス 中村町
NG0055 [石神村] 学校新聞
NH0236 福島農業新報 原町
NA0169 あかね 小高町
NT0590 東北経済公論 中村町
(マッケルデーン図書館所蔵)

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