鈴木小松先生

 昭和二十年二月十六日、早朝。
 寒かった。
 小松先生は、マントをはおって玄関を出た。
 町は静かであった。朝から快晴だった。
 街の中の雪は、日陰の所々に残っていた。 
 引率先の原町紡織工場は、郊外の陸軍飛行場のおなりにあった。
 街はずれあたりから、雪は融けずに積もっていた。
 戦況は、南方の島々の激戦を伝えてはいたが、本土の空は平和であった。まさか敵機がこの静けさを破って、凄惨な地獄をもたらすためにやってこようとは、誰も思わなかった。
 鈴木小松先生と鈴木梅香先生とは、姉妹で同じ原町国民学校に奉職していた。
「ここ(当時高平村)から学校まで通うのは大変だから、町内に家を借りていました。妹の小松は(栄町三丁目の)氏家さんという酒屋さんのお宅の離れに、私は今の市役所のそばに別々の場所に部屋を借りていました」
「姉妹で同じ家にいたのでは、毎日おしゃべりbかりして、授業安を書くにも支障があるだろうから、という父親の配慮からでした。私どもの父親も教員をしておりましたので、ちゃんと考えてくれていたんですね」
「工場への勤労奉仕作業は朝が早いでしたから、生徒の引率は子持ちの女先生には無理だった。だから小松がその日の引率の当番の子持ちの先生の代わりに出て行った」
 鈴木梅香さん談。

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