相馬野馬追は、観光イベントではありません。福島県人の、とくに相馬地方の魂の発露の宗教的祭礼です。また地域の行政との総力を挙げて、地域の底力を首都ほか他県の日本人に、そして最も驚異的なのは、日本歴史とぬかを知らぬ外交人にたいして、その感じ性と知識のすべてを揺るがすほどの驚異の祭りであった。この」四十年よ、主に外国人観光客を」ガイドしてきたぼくにとっては、彼らの驚異の感受性と驚異の魂を揺るがす体験を、その場で目撃する経験程面白いことはなかった。色々の外国人をガイドしてきた。スペインのマジョルカ島からやってきたガルシア夫妻は、新婚旅行の記念全てハネムーンに、異国ニッポンの相馬野馬追いを選んだという。またスエーデンから来訪したヴォルグ氏は、欧州で日本の甲冑や刀剣、鞭、馬具、鞍、鐙にいたるまで、私を但野外国人ガイドをを扱って商売している古物商で、私をただの現地の原住民だと思ったらしく、つよい言葉で、次から次への、原町と相馬、鹿島の古物商の店をタクシーで精力的に案内させ、聞くのは売り物の値段のことばかり。これも面白い経験であった。わたしはこうした商売のために世界を股にかけて、文化のはざまで、金額と相談しながら、異国趣味とアンチーク・ウエポンの魅力を売り物にしている歴史文化商ともいうべき存在をまじかに、こいう種類の経済人のほうが、日米やロシアや中国や欧州の、近代的な超高価な、高性能な各時代の未来兵器を商っている「死の商人」にくらべて、どれほどすぐれた民間外交官であることか。
かねこ恵美代議士は、選挙区改正以後に信達地方に隣接する同じ選挙区になったフクシマ一区に編入された相馬地方との出あいで、相馬野馬追祭の魅力に心を開かれた。こうして、最大の野馬追ファンになって、全国に相馬福島の魅力を発信してくださっている。
ぼくらも、この機会に伊達の魅力に目を開き、伊達と相馬が争ってきた中世の戦国時代の憎悪と殺し合いではなく、それらをはるかに超えて手を取り合ってコンビで戦国の世の抗争の現場に、政宗にいたる伊達との十年戦争から、相馬利胤と政宗の時代には、切支丹文化を同じ背景として、直接ヨーロッパとのバチカンを頂点に教皇を通商しようという遠大な頂く経済圏と直接つながってWIN WINの友好関係にしてゆこうという未来志向の実質的自由貿易の東北の地番にいて、江戸のとk側体制に対峙しようという政宗の大戦略構想に従って、サンファン・バウチスタ号をバチカンに向けた出帆さsた。この壮大な設計図は、相馬の当主利胤にも共通にあって、利胤はすでにカトリック信者になることを決意していたのである。(相馬野馬追ものがたり」より)

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