いわき以北は伝統的に空白

福島県浜通り地方に常磐線が全線開通したのは明治31年のことだが、常磐線はもともと常磐炭田の石炭を国家伸展の起爆的なエネルギー源として欲した明治政府の意思のもとに、当時の日本鉄道会社が敷設したものだ。
当然のことながら開設当時は常磐炭田がターミナルでありデッドエンドであった。
要するに、いわき以北は必要とは考えられていなかった。
今でも首都圏の住民にとっては常磐線と聞けば、いわき以北に点在する駅名ではなく、松戸や柏などの通勤圏内のサブ都市の駅名を連想させるものであり、もう少しチャンネルを切り替えてみてもせいぜい土浦、水戸、日立といった沿線の駅名が浮かぶだけだ。
ちなみに、常磐線沿線の各駅を訪ねた旅行案内を兼ねたような紀行が出版されているが、千葉県と茨城県に集約されており、「福島県にも常磐線があるのか?」
という思いの方が、首都圏住民には強い事情の反映だろう。
そうした日本人のイメージ地図と、自然地理としての日本地図とは、だいぶズレている。
四全総の文章に表れてくるあぶくま地域は「これほど首都圏に近距離の未開発地域をほおっておく手はない」といったニュアンスさえ、あの短い三行半のセンテンスにはにじみ出ている。

四全総は福島のチベットあぶくま地域を救うか

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