中村駅開業式の様子
相馬市史の通史巻末年表に、
「明治三〇年(一八九七)一〇・一七・一八 海岸線中村駅開通式(新沼伊勢講記録)」とある。
ただし調べてみたら、10月23日の福島民報には、
「〇常磐線の検査  岩沼より中村に至る常磐線は最早竣工したるを以て近日逓信省より検査官出張して検閲する由なるが検閲済み次第開通式を行ふ筈なりといふ」(10月23日)
とある。公式的には17、18日ではないようだ。民報には、
「〇岩沼中村間鉄道開業期  聞く所によれば同鉄道は来る寿う一月三日天長節の当日より其営業を開始すべしといふ」という記事がみえる。わずか三行の短いものだが、これだけのものを探し出すのも大変だった。当時の新聞は見出しに大きな活字を使う事もなく、みな並列記述のべた記事のような感じなので、今からすれば読みずらい。
ただし岩沼中村間鉄道開通式は、11月10日のことである。福島から民報の特派記者が出張した。郡都中村の駅開業については雑報のトップに大きな見出しで詳報されている。
町有志の招聘によって宮城少年音楽隊という子どもの楽隊が「鉄道開通式祝歌」に合わせて喨々たる楽を奏した。かたわらでは三十余名の芸妓たちが手踊りを披露。祝賀会には神田精養軒から取り寄せた洋食が並べられた。

「〇中村岩沼間鉄道開通式 (地方未曽有の盛況)」
霞たなびく弥生半ばに都を立ちて秋風に紅葉散る頃白河の関越えきてふ時代もありしものを今ハ汽車の便一たび聞けば瞬たく間に千里の遠きに疼痛往来するを得るに至り其便其益殆んど数ふるに言葉なし況して汽車の黒烟を吐きつつ威勢よく動き出すやただに幾十百千の旅客貨物を乗載するのみならで実 非常絶大の宝とも言ふべき文明の空気を載せ到る所にこれを散布するの一事は全く利器の大功として深く喜ぶべきものにして諺に鉄道は文明の尺度なりといふもの偶然にあらず今や我福島県を見るに既設鉄道線路の外或は常磐線に或は米沢線に漸く其工事成らむとし亦た岩越線布設の計画已に熟し而してここは常磐線の一部中村岩沼間の開通を告ぐ誠に喜ぶべき也

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