農民の無知が鉄道に反対したという原町市史の無知

用地買収についての原町市史は「当時一般の農民は、鉄道の何たるかを理解せず、そのうえ流言飛語も乱れ飛び、用地の買収を拒んだり、駅舎建設に反対したり、各地にいざこざを起こしたものであった」と書いて、問題を起こしたのが農民であったとしている。
農民が無知蒙昧で「鉄道の何たるかを理解せず」訳も分からず反対したと一方的に原町市史はいうが、農民の無知につけこんで土地を取上げようとした鉄道会社側のブローカーの暗躍に反対するのは当然である。
しかも半谷清寿と日鉄との間で解決をみたのが明治30年秋であるという。開通の遅れは、むしろ小高を中心とする土地買収をめぐっての両者間の紛争が大きな原因と考えてよい。
それに何よりも汽車の火の粉が当時の藁葺屋根に落ちてよく火事になった。明白な反対の理由には色々あるのだ。
「これも氏のあっせんで守備よく解決した」「社長曽我氏の依頼によって、原町以北岩沼までの駅舎全部の建築を請け負った。この工事の欠損は目に見えたものであったが、犠牲を覚悟で立派に完成し、会社の信望を一身に集めたと言われている」ともある。
また「鉄道枕木の供出」では「二十数万本を会社から委託され、これを一手に引き受けた。平、岩沼間の枕木のほとんどは氏の一手によって出されたものであった。」
と書いている。
原町市史は、松本孫右衛門ただ一人で原町から岩沼まで鉄道を造ったようなことを書き、「欠損は目に見え」たうえに「犠牲を覚悟」であったときれいごとを並べ立てる。
それでは全く儲けがなくて、松本は自分の財産を無くしてしまったのか。
「初めての仕事が欲しくてあまりに破格の低予算で落札したため儲けは出せなかったが、おおいに名前を売った」というのが真相だろう。

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