避難先からのハガキ
一つとせ ひとのためだよ世のためだ なくてはならない原発だ こりゃ本当かネ
二つとせ 二つでたりない三つ四つ まだまだ足りない五つ六つ えっこりゃドウしたの
三つとせ 見てもみえない放射能 においもしないなんでもないコリャうそだろう
四つとせ ようやくできたよ試運転 またも休んで試運転 コリャもうかるね
五つとせ いつまでもつんだ二十年 いつのまにやら四十年 コリャ事故になる
六つとせ むちゃですねつくった下には断層が その前来たのが大津波コリャ壊れます
七つとせ なっとくしないがいつのまに増えていったよ原発所 コリャこまります
八つとせ やってみたらば面白い 電気がお金に化けました コリャやめられぬ
九つとせ ここの人たちみな変だ オレの金もうけわからんべ コリャ本当だよ
十とせ とうとうやったね東電さん これからどうしてくれるのさ コリャたいへんだ
新妻智(南相馬市原町区錦町) 猪苗代カメリーナに退避中
ヨッシーランド
domingo.haramachi.net/311minamisoma/ヨッシーランド-2/
みちのく真野球場にて
https://domingo.haramachi.net/311minamisoma/みちのく真野球場にて/
Facebook 311津波と原発事故
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3.11南相馬
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- 一月にニューギニアに行ってきた友人に話を聞いた
- 「おひさま」と伯母の死
- 「お墓にひなんします」
- 「世界の100人」に選ばれた南相馬市長らに賠償命令(毎日)
- 「冬薔薇」24年度集
- 『昔は皇軍で、今は東電か』
- 1958 昭和33年福島県人ブラジル移民(相馬双葉)名簿
- 1966 パラナ州移民
- 1982年相馬双葉南米移住者名簿 氏名 出身地
- 2・10松本孫右衛門の人生①~③
- 2011.3.19 あのときのことなど
- 2012年10月25日 石巻に行ってきた息子の報告
- 2013.6.8
- 2017311
- 2017相馬日立木
- 30年前の311前史 足踏み状態の原町火力建設計画 1986.
- 311 youtubeで世界に伝えた南相馬市の孤立無援
- 311 偶感
- 311 光の無線塔モニュメントへのプロジェクト実現経過
- 311 川俣山木屋の思い出
- 311に届いたノートパソコン
- 311以前・以後
- 311以前以後
- 311原発事故避難者1000人の証言
- 311東日本地震津波・原発事故の本を読む
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- 3月14日のニュース
- Cosmos Cafe #1 浜通りの歴史にみる戦後70年
- Cosmos Cafe 桜井勝延市長講演聞き書き 二上英朗
- おおピエロよピエロ
- かねこ恵美さま
- かねこ恵美さま2 メッセージ私信
- ゲンロンTWITTER 2014
- ザ・ドーム
- スーパーひたちの復活とふっこうステーションと安倍首相の最期のビジョン
- データを削除させた県の殺人
- フクシマ・ノート #8 浜通り開発の1世紀を追う
- フクシマ・ノート#11
- 0.2 プロローグ
- DASH村は津島にあった
- 「ふるさと返せ」と団結 津島集団訴訟
- <原発事故>消防団の「無念」アニメ完成
- <高濃度セシウム>福島第1周辺のダム底に堆積 2016.9.25
- 0.2 熊坂様
- 311浪江町議会 議場
- 312bこれは殺人罪じゃないのか?
- 312佐野眞一の「津波と原発」
- 312民間事故調査検証報告書
- 312特別座談会あれは誰だったのか
- 312零時の被害状況 浜通り
- 313甚大な津波被害
- 314ふくしま1年の記録
- 315浪江町の取り組み
- 315浪江町の対応 3月15日
- 315浪江町の対応 つづき3月12日~
- 317議会はどう動いたか1
- 319俺はこんなところで死にたくない
- B0 311以後の浪江町概略 大震災と原発事故を乗り越えて
- B1三瓶宝次の経歴
- B2三瓶宝次の立場 平成24年
- B3)ふるさとの様子
- B4)事故責任・被曝健康被害
- C チェルノブイリに学ぶ③避難で自治体消滅
- C0三瓶宝次の夢
- C1 25年後の福島 チェルノブイリ事故調査団
- C2福島原発・災害連鎖 3.11からチェルノブイリに学ぶ
- C3チェルノブイリから学ぶ 三瓶宝次
- C4チェルノブイリ調査報告会 記録 三瓶宝次
- cチェルノブイリから学ぶ 三瓶宝次
- Cチェルノブイリ福島調査団報告 原子力安全委員会
- C三瓶宝次町議による「チェルノブイリ視察報告会」
- C仮の町構想 復興期し集団移住
- C石棺4号機の現状を視察 福島調査団
- D2 津島の戦後年表
- D4 津島の自然
- DASH 村の人々
- DASH村 エピローグ
- DASH村は浪江町津島にあった
- DASH村指南役三瓶さん 復興へ熱意語る
- D人のにおいが消えた集落、荒廃したDASH村
- D明雄さんのにっぽん農業ノート
- SPEEDI活用されず 真相究明求める浪江町長 国会事故調委で
- T 原発事故 避難中に妻が逝く 佐野富寿 下津島字町14
- T 賠償はいらない。地域を元の姿に戻せ 門馬寿三
- TOKIOとDASH村と浪江町津島
- エピローグ
- きょうの潮流 しんぶん赤旗2016.3.16
- ごあいさつ 三瓶宝次
- つながろう なみえ
- なみえっ子カルタ 読札
- ふるさとを返せ 津島原発訴訟第3回口頭弁論
- ふるさとを返せ 津島原発訴訟第四回口頭弁論
- ふるさと浪江会
- へこんでいく人びと 関根俊二医師
- 三瓶宝次 ごあいさつ
- 三瓶宝次の立場 平成24年
- 三瓶宝次の経歴
- 三瓶宝次の経歴
- 三瓶明雄の死
- 三瓶明雄の知恵
- 今野洋一 原発事故 落首に託す避難生活
- 今野洋一 津島の暮らし バンカラな高校時代
- 今野洋一 津島の暮らし 就学後
- 今野洋一 津島の生活 幼年時代
- 今野洋一さんの人工透析体験
- 今野洋一の思い出 地域の絆 津島の戦前戦後
- 児童生徒は全国各地へ散らばって
- 助けられたはずの命だった
- 原発になお地域の未来を託せるか 清水修二著
- 原発事故 渡辺敏 下津島字町11-1
- 原発事故 落首に託す避難生活 津島 今野洋一
- 原発事故・避難生活 紺野嘉郎
- 原発事故、避難 築いたものを失う痛切さ 赤宇木今野幸四郎
- 原発事故被害町民の苦悩と避難生活の不安 三瓶宝次
- 原発被害実態把握へ 浪江津島住民と懇談 自民特命委
- 原発避難 ふるさとへの思い、脳裏を離れず
- 原発避難 何も望まない、ふるさとに帰りたい
- 双葉郡不在の中、県庁で会議が続く異常さ
- 命を何だと思ってるんだ 浪江町長声を荒らげ
- 大地震・原発事故 武藤トクイ 津島
- 大震災・原発事故 夫の死 末永定子
- 大震災・原発避難 こんなに楽なのは初めて、辛いのも初めて 三瓶諒子
- 学校沿革史
- 屋中茂夫さんの手記 3
- 屋中茂夫さんの手記3
- 屋中茂夫さんの証言3
- 年間500ミリシーベルト超の地点も
- 戦後の津島開拓のあゆみ 主なる事業の歩み 1
- 新聞記者たち
- 校歌 天野秀延と豊田君仙子のコンビ
- 津島に行こう 線量情報なく町民孤立 国と県 予測伝えず 安全信じ…空白の4日間
- 津島の三瓶邸
- 津島の梅酒 希望の香り
- 津島中学校沿革誌
- 津島村開拓の沿革 戦後史
- 津島沢先開拓地の記念碑
- 津島開拓沿革史 4、建設工事
- 津島開拓農協理事
- 浪江の校歌
- 浪江町の1年目 2大臣との意見交換
- 浪江町の対応 屋中茂夫さんの手記
- 浪江町の津島避難 町民被ばく どれほど 不安、悔恨、憤り…
- 浪江町住民意向調査
- 浪江町役場移設予算案を否決
- 浪江町津島中学校校歌
- 浪江町職員 屋中茂夫
- 浪江町議会はどう動いたか
- 浪江町議会はどう動いたか? 2
- 浪江高校 3.11東日本大震災と原発事故災害の体験記「幸あるわれら」
- 満州から生還 今は避難生活 飛田 実
- 私のふるさとは浪江町下津島の地区 三瓶宝次インタビュー
- 第一回三瓶宝次インタビュー
- 第一章これはただごとではない
- 第二章 助けられたはずの命だった
- 第四章 にがよもぎとチョルノブイリ
- 若い世代50%超「戻らぬ」
- 若い世帯50%超「戻らぬ」 原発周辺町村住民
- 要点 事故調中間報告
- 講演 原発事故被害町民の苦悩と避難生活の不安 三瓶宝次
- 警戒区域 汚染された郷土 自治体の危機
- 鉄腕DASH20周年
- 震災・原発事故 愛したふるさとの復興を願う 末永卓義
- 震災二年目【仮の町】 識者の目
- 三瓶町議、奮闘す 序文
- 津島原発訴訟
- 神戸新聞
- 群馬訴訟
- 菅野みずえ
- フクシマ・ノート#12 双葉病院の悲劇 透析患者の311
- フクシマ・ノート#13 新地駅にて
- フクシマ・ノート#2 311 死の町のスケッチ 定点観測者の憂鬱.
- フクシマ・ノート#2続・南相馬市スケッチ 定点観測者の憂鬱
- フクシマ・ノート#3 災害は映画を模倣する――ダークツーリズムとしてのタイムマシン
- フクシマ・ノート#4 相馬双葉の地下からの文明論メッセージ
- フクシマ・ノート#5 南相馬の最後のバスは何処に行ったのか?
- フクシマ・ノート#9 神はいるのか デストピア・フクシマ五年一昔
- フクシマノート#10 古式野馬追祭の小高へGO!
- フクシマノート#10 タイムスリップで古式野馬追の小高にGO!
- フクシマノート#4 相馬双葉の地下縄文からのメッセージ
- ふっこうステーション
- ふっこうステーション5
- ふっこうステーション7 レジュメ
- ふっこうステーション出発進行!
- プランゲ文庫「民主相双」について
- ヨーロッパからの訪問客
- ヨッシーランド
- ヨッシーランドを案内する
- わがクリニックに練馬駐屯地から自衛隊給水車が来た日
- 二人の警察官
- 二本松で浪江町民が「集まっ会」
- 井田川干拓 311以後 レジュメ
- 仮設で1200名に聞きました TOHOKU HOPE
- 伊藤延由と飯館村いいたてふぁーむ
- 光のモニュメント計画
- 八沢浦干拓ものがたり 3
- 八沢浦干拓ものがたり 4 3名の殉職者と12名の犠牲者
- 八沢浦干拓ものがたり2
- 八沢浦干拓地が、明治のころの海に戻った三日間の幻
- 円型の聖地 青田恵子
- 初めての母からの誕生祝い
- 動物たちのふくしま
- 卒論 3
- 卒論 島尾敏雄の体験と作品のあいだ
- 卒論10
- 卒論11
- 卒論12
- 卒論13
- 卒論14
- 卒論15
- 卒論16
- 卒論17
- 卒論18
- 卒論19
- 卒論2
- 卒論4
- 卒論5
- 卒論6
- 卒論7
- 卒論7-2
- 卒論8
- 卒論9
- 南相馬市民の歌 歌詞の構造と改変事情
- 南相馬通信2015年11月・12月
- 原町火発 環境アセスメントを読む 1989.6
- 原町空襲と南相馬の被害者
- 原発さえなければ
- 原発とは結局なんだったのか
- 原発の被ばく劇「臨界幻想」浪江で 昭和57年
- 原発事故と福音
- 原発事故は敗戦 今度は放射能疎開
- 原発銀座に日は暮れて2
- 原発銀座に日は落ちて
- 原発銀座に日は落ちて
- 双葉郡出身戦後移住者(渡航年順)
- 双頭の南相馬の図書館
- 同心円の呪縛 相馬と双葉のなりたち論
- 同情と共生 原発被災者1,200人にお会いして
- 同情と共生 原発被災者1,200人にお会いして
- 同情と共生 原発被災者1,200人の証言
- 小高と鹿島の干拓と自然の復旧
- 小高井田川干拓と鹿島八沢浦干拓と自然の復旧
- 岩本忠夫、双葉町を潰す
- 岩本由輝の視座2
- 岩本由輝の視座3
- 川俣町山木屋の水芭蕉 2015.1.15
- 悲しきムラ社会 双葉郡1996
- 悲しきムラ社会 双葉郡と原発基地
- 放射能を背負って
- 新地駅 311
- 日光神領の奇跡と報恩
- 日光神領の奇跡と報恩
- 日本5位の移民県 浪江は最多送りだし
- 暗い夜、星を数えて
- 東北の血と風土から1 「死霊」に関して
- 東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)
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- 甦る平田良衛 01
- 甦る平田良衛 4 二宮尊徳の思想の換骨奪胎
- 甦る平田良衛 4 出獄後の論説
- 甦る平田良衛 5 金房村の開拓
- 甦る平田良衛 6 原発に対する態度
- 甦る平田良衛 6-3 金房村の開拓
- 甦る平田良衛 おわりに
- 甦る平田良衛 農民の思想との相違
- 相双の「現実」と「課題」
- 福島原発「浪江原発」墓地移転で動き 1993.3
- 福島原発クロニクル 1993.6
- 福島第一原発7、8号機の未来
- 福島第一原発誘致序説
- 第21回コスモス・カフェで蟻塚亮二医師の講演要旨 2019・3・23
- 第二の敗戦と日本的特攻の狂気再び
- 自然の復旧 イノシシ・サル天国浪江
- 薔薇の踏み跡 4・11の第九
- 被災の現実と闘いながら 木乃幡 木幡喜久雄
- 被災地からの報告 全盲の小山田トヨさんの場合
- 見えない絆を切られる怖さ
- 親愛なる向井さま 2020.2.28
- 親愛なる向井美香さま 2020.2.29
- 豊田有恒の「原発の挑戦」と同級生高木仁三郎
- 迷走する井田川干拓地の復興
- 追悼と復興祈る光のモニュメント
- 送り返されてきた年賀状
- 郷土の先行者たち 第四回 相馬藩が生んだ和算家 荒至重
- 飯舘村の残像 一つの幸福 一つの愛
- 高野光雄氏
- 鹿島の右田浜
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