特急はつかり

「汽車キチ昭和史」(中村薫・六興出版)という本に「特急はつかり」乗車も体験記録が載っている。

特急というと、戦前は「燕」「富士」「桜」、戦後は「つばめ」「はと」「あさかぜ」など、すべて東海道本線、山陽本線だけだったが、昭和三十三年十月、国鉄史上はじめて上野 青森間に、常磐線・東北本線を走る特急が誕生した。愛称は秋に北国からはじめて渡ってくる「雁」にちなみ、「はつかり」と命名された。常磐線も東北本線も当時は電化されていなかったので、全区間蒸気機関車による特急列車であったが、それまでは急行で上野青森間を十四時間もかかっていたのが、特急「はつかり」号は十一時間半で走ることになった。
最後尾の車両のうしろには、雁が三羽飛ぶ姿を描いた、テールマークが付けてあった。列車構成は一等車二両、二等列車五両、食堂車一両の八両。私たちの乗る車輌はいちばん先頭の荷物車との合造車(スハ二三五型)の1号車で、座席は海側の三三番、三四番である。
1号車は旧三等車であるが、新しい呼び名は二等車。実質的には何も変わっていないのに、名称が格上げされると一寸いい気分になるのだから、おかしなものである。ここは先頭車だから、機関車がすぐ目の前にあり、蒸気機関車のなかでは最新鋭を誇る最大のC62型である。ときどき白い息を吐き、あたかも生きものが横たわっているようだ。機関車の正面にも最後尾と同じ「はつかり」のマークが付いていて、なかなか格好がいい。近くでみるせいか一七五〇ミリの動輪が、えらく大きくみえた。(中略)
「はつかり」号は仙台から常磐線を経由して上野に向かう。私はどちらかというと、海の景色を車窓から眺めるのが好きなので、山の中を走る東北本線よりも、海沿いの常磐線の方が好ましく思われ、楽しみであった。といっても、いわぬま 平間は平凡な海岸線がつづくが、13時39分、平をすぎて勿来、大津港あたりは、木々の間から奇岩が垣間見られるなど変化に富んだ海岸線がみられた。

デイーゼル特急はつかり号

SL特急「はつかり」は、デイーゼル特急に変わった。常磐線・東北本線経由には変わりはない。私は昭和三六年の四月、このでーぜる特急「はつかり」号に乗って仙台まで行った。この日は天皇誕生日と日曜日がつづく、ゴールデンウイークのはじまりでもあったが、どうにか指定券を手に入れることが出来た。
上野駅の高架ホームの7番線に上がると、最新鋭のデイーゼル特急「はつかり」号が、さんさんとふりそそぐ明るい太陽に輝いて入線していた。いまでも急行や普通列車にデイーゼルカーが使用されてはいたが、特急列車としてはこの「はつかり」号が、日本では初めてである。先頭と最後尾はボンネット型であるが、電車特急「こだま」にくらべると、一寸おでこが出っ張っている。編成は一等車二両、二等車六両、食堂車一両の計九両で、これまでのSL時代の「はつかり」より一両多い。

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