学童集団疎開(四)疎開生活の日常化と戦局の終末化 青木哲夫 「生活と文化」豊島区郷土資料館研究紀要第24号23p 2015年3月27日

相馬郡中村町(現相馬市)に疎開した長崎第五国民学校(現千早小学校)五年生の真板久子が一〇月二六日付の姉昌子あての手紙で「今日はいなご取りに行きました」と書いたようにいなご取りをした。真板久子は続いて「東京にいた時はいなごなんてつかむのはこわくなかったが、こちらにきてこわくてなかなかつかめません。私は長い間かゝって約十匹しか取れませんでした」「いなごは学校へもっていって私たちが食べるさうです」と述べている。(真板栄一編「疎開の記録」二五頁)

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