門馬直孝氏が市長在任中に、原町市役所の三階市長室に、かなりの回数を市長訪問をした。高校生時代からの友達感覚だったと思う。
 市長との会見は、秘書課の待合室コーナーのソファーで待つのだが、そのかたわらに月刊政経東北と福島民報などの書架がある。役所が定期購読している新聞雑誌類だが、現物はここに置いてあるので、一般市民が実物にアクセスできるわけではない。
 待合室で、自民党の浜通り北部の最大支持組織のかなめの人物の伊藤博人氏でさえ面会の順番を待っているのだから、さすが現役の市長の権限というものの公的立場とはすごいと思った。選挙に出るところまでは、その伊藤氏こそが市長候補を決めたのであるから。
 門馬市長を訪ねて、最初の頃は原町私史シリーズの四六判の単行本を新刊で出版するごとに持ってゆき、その場で10冊ずつ買ってもらっていたからだ。市長はそれを部下の部長やお気に入りの課長たちに配っていたようである。このころの彼のセリフには「講演をただで聞くな。お金を払って聞け。自分の勉強になるのだから」という言葉が印象的だった。その辺が田舎の政界では、ひどく青年的でフレッシュで、人気があった。
 最初は同人雑誌の「海岸線」の編集も出版も一緒にやっていたのだから、文学仲間のその延長である。彼は支持している齋藤邦吉という自民党の代議士の名前を一ページ大の広告にして割り付けし、自分で金を出す。純文学の小説や詩を載せる文学雑誌に政治家の巨大な名前だけの選挙ポスターみたいな頁があるのだから、珍妙なレイアウトである。
 それがこの人の神経だったから、同人たちも気を遣って誰も何ともいわないし、ぼくもそんなものだと思っていた。
 1984年には、ブラジルの同郷人を初めて原町から訪問した、ぼくは最初の一人になった。公式的なメッセージとして、この市長室で1月末に門馬氏に小型の録音機で、市長からの言葉を、サンパウロに届けたのである。
 このときの音声は、サンパウロの福島県人が経営する日本料理店「山鹿」で、10人ほどの同郷人に集まってもらった。会長の鈴木幸雄氏に、カセットテープを渡してきたが、音声は、ビデオに撮影したので、市長の声がそのまま流れている画像が、YOUTUBEにアップしてある。
 あぶくま新報を創刊してから、ドキュメント相馬野馬追の連載を3年間続けたから、通年でしょっちゅう市長からはコメントをもらいに市長室を訪問していた。週に一回は記者クラブの記者会見があって、その週のブリーフィングがあったが、そういうのは日刊紙の仕事だった。
 気まずくなったのは、再選以後の連続当選で、無投票で市長独走の時代になって、だんだんと独裁色が強くなってきてからのことである。

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