平成三年は実に静かな年となった。
前年の原町市長選挙も無投票三年二月の原町市議選に続いて、四月の県議選相馬郡選挙区で加藤貞夫氏が無投票当選し、同じ四月の相馬市議選も無投票となった。
相馬地方でどうしてそのような無投票続きになったのか不思議なほどだが、その背景を見てみると、前年の総選挙で田中直紀氏が次点で落選している。坂本剛氏にわずか104票という僅差。おまけに原町市の選挙運動員の中から逮捕者が事情聴取を受けて、この中の一人が警察の事情聴取を苦にして入水自殺を遂げたことから、この敗戦の後遺症は長く続いた。
それまで政治の畑に人材を供給していた水脈が、ある日突然に枯渇する。自民党の派閥間競争でしか政治の活性化が望めない状況で、竹下派の創設で古い一つの派が消失し、そして時の流れは容赦なく田中角栄元総理は死去してカリスマが消える。田中直紀氏の宮沢派への転身。政界再編の激変。もう一人の新惑星木幡弘道氏は自民から転身して日本新党の風に乗って赤じゅうたんを踏み、続いて新進党から比例区で当選。
政経東北 五選に冷ややかな原町市民
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