重き処刑となる覚悟 話は代わる相馬藩 
藩老熊川兵庫殿 京都における御用済み
みその御帰国は北陸路 加賀領内に差し掛かる
折しも来れる曳かれ者 何者ならんと見てあれば
こわそも如何に我が藩の 隠密伏見儀助よな
互いに見合わす顔と顔 その驚きを見せまじと
素知らぬ顔でゆき過ぎる 時も時なり折も折
ここで両者が逢わんとは 嬉しくあり悲しくも
生別は又死別なり 千万無量血の涙

とき離れ元治元年の 六月五日の昼下がり
ここは加賀藩お仕置き場 土で三尺木で三尺
六尺高い十字架に 儀助を見れば充容と
最期の笑いをもらしつつ 此の世の名残り許せよと
飴や音頭を唄ふなり 其の声恋し断腸の
想いは遠く故郷の 人百姓に馳せながら
義民儀助は消えてゆく 義民儀助は消えてゆく

驚くことに、新開ゆり子女史は、福島地方裁判所での公判で、
原町市長門馬直孝、原町商工会議所専務理事松浦尚三、脚本制作金子洋一の三氏を相手に訴え
相馬野馬追の開催される7月23日の夜、原町体育館における「民謡ミュージカル」が自分の作品の盗作であると主張したのである。

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