やがて天候恢復し 六万石の草も木も
よくぞ緑の色添えて 元のすがたによみがえる
城下の人も村人も 飢饉のおびえ去らざるも
久方ぶりの日光に 漸く安堵しながらも
荒れた国土の再興に 兎やせん角とあせれども
働く人は絶いてなく 他藩に誇る田や畑も
見るかげもなく荒れ果てて 只雑草の繁るのみ

ああこの窮乏をいかにせん ああ此の復興をいかにせん
藩侯始め重臣等 其の対策に苦心して
連日連夜の御評定 されど名案とてもなく
良からぬことと知りながら 当時天下で御法度の
他の領からの入植者 人集めより策はなし

斯くと決した御上意に いかで猶予のあるべきぞ
思いば各郷代官に 密使の役は宙を飛ぶ
其の後間もなく加賀藩や 遠くは因幡、伯嗜等
且つて見知らぬ旅僧や 旅芸人や諸商人
それ皆巧みに変装の 相馬隠密人集め
いつとはなしに辿り来て 地元の人と睦み合い
良いとこ相馬の道標るべ それからそれい(へ)と語り合い
希望にもゆる新天地 開拓相馬のあこがれて
ひそかに国を離れゆく 入り百姓の急ぎ足
長道中のすげの笠 長道中のすげの笠

岡和田甫という人物のざっくばらんな性格は、たいして学歴もないが度胸だけはあふれるほどあった。俳句や短歌をことさら学んだこともなかったが、庶民的な俗語で思うままに相馬弁の方言訛りそのままの表記で、古人からの伝承をたくみに俗謡にしてゆく才能があった。それを信奉者の高田らが、聖典のごとく崇めてもいた。
岡和田という人の存在を知ったのは、子供の頃で、昭和三年生まれの二上の母親から「相馬民謡の研究家で踊りの振り付けなど指導する町の文化人である」と聞いていた。

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