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知命の年を迎えた惇夫は、病患による心弱りを痛切に感じ、人生五十年、残余の年はいかばかりかと、昨日に変わる老いを寒夜の鏡の中に見た。
寒夜
たまゆらのいのちの燭ともし
消えがてに、うつつに堪へて
熱かりき、白う凝りき。
朧めきて鏡にうつる
わが顔の年の波だち
雪散らふ髪を見るさへ
しみしみと寒き夜なりき。
詩集「山の消息」
みちのくの小さな町に隠れ住むように病患を養う惇夫には、新聞社からの詩稿の依頼もなく、ひたすら病臥生活の倦怠に耐える長い毎日であった。不安と焦燥と憂鬱が波のように打ち寄せては、詩人の心を打ちひしぐ。
しかし、かたわらに日夜献身的に看護するひとりの女性があった。その女ひとの愛に」包まれて、詩人は心の平安を得た。そうして、病間に湧き上がる詩心のつぶやきを、低吟する詩を、すべてその女ひとが書き留めてくれた。
病間の詩はすべてこのように惇夫のいう「口うつし」によって形を得た。
いつおこるとも知れぬ神経の昂ぶりも、この女ひとが鎮めてくjれた。
病吟
雪ふりつもる朝あさ
痴をこの病気いだいて
狂へる頭鎮しずむと
人になげきをかけつる。
氷のガラスがまぶしく
叩きもせぬに割れるわ。
詩集「山の消息」
大晦日の夜。旅館の琴を借りて、その琴をひいてくれた女ひと。その夜の詩「吾に添へる影のかげ妻 あは雪のわかゆる胸の 黒髪の匂へる君」とうたったその女ひとは、東京から同行し、常にかたわらにあった。当時三十代半ば、どこか亡くなった初恋の人慶子に似ていた。身近の諸事を処理するばかりでなく、常に詩人のまわりに春風を吹きめぐらせ、詩作の温床を醸成した。恋人であり、主婦であり、看護婦であり、有能な秘書でもあった。それに、大木敦惇夫を詩人中の詩人として敬愛する唯一の内弟子であった。
わびしい旅館の一室で、病患に臥せりながら、詩人はその女のひたむきな愛によって大きなやすらぎを得、みちのくの自然の中に没入していった。とりわけ雪は朝夕の友となった。広島でも、小田原でも、東京でも見ることのできなかった雪の姿を見た。雪の心を見た。雪は変幻する天からの贈りものであった。心の慰めであった。