旅荘「逢坂」にて川俣出身者の会を開く。平成元年

 原町市に住む川俣出身の10人ほどを集めて「逢坂」というホテルに懇親会を開いた。
 川俣町は原町より血さな町なので、町場の小学校では、同じ世代の彼らにとっては恩師は共通の思い出の教師で、同級生の話題についてもおおいに夜中じゅう盛り上がった。
 その夕べの、同ホテルの経営者遠藤社長の居室で、ついでのインタビューしたときに、山歩きの好きな遠藤さんが、山間で枯れた動物の骨を見つけたというものを燃せてもらった。サンショウウオの骨のようだったが、体形がツチノコあたりなら、面白いかと思って記事にしてのせたのは、せっかくの機会だから別な誤解を正すために説得したのであって、内心は不愉快であった。
 この年は、1月に昭和天皇が薨去し、1月8日から「平成」という新元号に改元された。
あぶくま新報の共同発行者の東清和という九州からの流れ者が、社長をお願いしていた横村一雄氏との間でトラブルがあって、給料を出してもらえず、会社にあるだけの金をだしてくれと事務員の高田さんに命令し、現金で16万円を持ったまま遁走し、翌日から会社に姿を現さなかった。
 すでに4年も新聞の仕事で、市内の商店主を中心に購読をお願いしたのは、私と、若い社員の佐藤隆貴だった。よそ者の東にとって、知り合いも同級生も親戚もいないから、人間関係だけで購読者を増やせることなどできなかった。
それが、新聞を後足で砂をかけるようにして遁走し、原町市内で、「あぶくま新聞を作っていたおれが、事情があってこの新聞を潰してやった。だから、もう誰も出せなくなったから、まもなく潰れる。おたくも辞めた方がいいよ。」と、翌日から言いふらしまわっていた。
 いちばん一緒になって、くそみその悪口を言いふらしまわったのは、議員の末永であった。
 逢坂ホテルの経営者の遠藤さんが、チラシで開店の広告を出してから、客をわざわざ紹介し、同じ川俣出身者を集会に招いて好意的に宣伝してきたのに、ここにも東は、「やめたほうがいい」と、中傷をまき散らしていたらしく、遠藤氏は「あぶくま新報、潰れるんだってな」という。
 商売人なら、利益をもたらすものに対して聞きかじりの中傷で真実を確かめることなく、迎えるなんて。

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