貴僧はここまで来られたが 我等と共に帰国あれ
御言葉なれどそりゃならぬ 我は出家の身にありて
彼お仕置きと聞くからは 何恐れんや今直ぐに
お仕置き場へと馳せ参じ 六万石の人柱
義民の霊を弔わん その御遺骨を衣でに
急いで帰国仕る 義民を知るは義民なり
偉人を知るも又偉人 義民儀助は中の郷
八幡発教宇多の郷 ともに相馬の国づくり
何れを何れを白菊の 北の南の花くらべ
春風秋雨一百年 げに歳月は矢の如く
流れ流れて星移る 昔を偲ぶ大木戸の
義民は眠る刈谷沢 伏見儀助の墓どころ 
唯法禅心居士の霊 頓生菩提弔魂歌
義民の歌は永しいに 善男善女の手向け草
この世のかぎり唄われん 此の世の限り歌われん

相馬義民弔魂歌は故岡和田甫翁の八十一歳の作でありまして、天明救荒録の最期の相馬藩復興に尽くされた移民政策の急先鋒としての伏見儀助、八幡発教師など当時の運動の姿を散文詩で発表されたものである。
 翁は日露の戦役に海軍兵として参加され負傷失明したるは惜しむべきである。同時に聴覚にも障害を及ぼすも生来武士道的気骨の人であり文にも通じ、殊に漢学に造詣深く又散文、里謡や民謡をよくして無形文化財としての相馬民謡と相馬野馬追祭を全国的に知らしむる端をなした人である。
 筆者は常に翁と共にあって口述を代筆し又は参考書、関係文書の調査などで親子同様の関係であり、よく翁の郷土を宣伝する愛郷心の深かったことを熟々と訓いられ(おしえられ)たのであり今天明救荒録を発刊するに当り相馬義民弔魂歌を終巻に付して故人の霊前に捧げたいのである。

一九七一年 春彼岸好日  高田竜峰

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