大正14年 郡役所廃止で相馬の合併問題論議
「相馬の町村合併 支庁運動と同時に各方面で論議さる」
郡役所廃止後の町村を如何にするかといふ問題は地方に取って可成の重大問題である相馬ぐんなどは一方に於て支庁設置の運動をすると同時に町村合併問題なども夫々研究されてゐる小高、福浦、金房の一町二ヶ村合併問題は既に両町村理事者間に諒解成り頻りに運動の歩を進めてゐる、更に中村、松ヶ江の合併も問題化し来り
原町を中心とする石神、高平、太田、大甕の一町四ヶ村即ち旧中の郷の合併問題の如きも識者間に研究されつつある、そうならいっそ旧藩政時代の制度に復し宇多郷、北郷、中の郷、小高郷、標葉郷、山中郷にわけて仕舞った方が宜いではないかといふ説も可成真面目に論議されてゐる
7月8日民報
大正15年 中村町案内記
○大正15年に大日本職業別明細図という商業地図が発行されている。
中村町も案内記として次のように書いている。
情況 本町ハ相馬郡ノ首都ニシテ戸数二千五百余、人口一万余リ有シ常磐線ノ主要駅ニ当リ交通至便商工業ハ著シク発達シ又農蚕最モ盛ンニシテ製糸所及輸出込め商組合等アリ市街繁賑ヲ極ム又年町ハ古来陶器相馬焼ノ特産地トシテ恰ク余ニ知ラル
営業ベル索引の「官衙学校」の項目には、次のような機関が並んでいる。
・相馬郡役所・中村町役所・中村警察署・中村郵便局・相馬区裁判所・相馬税務署・穀物検査所中村支所・県立薫陶園・消防署・県立相馬中学校・県立相馬高等女学校・実践女学校・・・・
「本町ハ相馬郡ノ首都ニシテ」とは中村人がつとに誇りとする部分である。
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