明治45年福島新聞
4.28. 原野火入の注意4.30.
5.4. 相馬山火事の損害 大野村から金房村まで九ヶ村26万町歩1万円余
石神村236町歩2万2000円 太田村200町歩600円 5.10.

7月14日民報
◎十一日曹長床を蹴って起上れば秋雨にも似たる淋しき雨蕭篠として降りしきり何となく旅情をして切ならしむ朝餉を終るや直にゲッタ返しの道を東西にまた南北に練歩きて初見の原の町を一わたり巡覧したるに別に真新しきものとは無けれど五軒置き十軒置きにうむどんそばの看板を出したる店のあるには一種異様の感を起したり。
◎今日の競馬は午后の三時ならでは開始されざるべしと聞きつる程に、先づ一休みせんものと一旅館に上り中食を認め夜具を借りて一睡を貪る快云ふべからず眼醒めて通路を瞰下すに近郷近在より来れる群衆は雨を冒して右往左往せる為め午前とは事変りて頗る活気を帯び居たり。
◎街道を南に取りて行くに沿道の楼上には昼休みの客らしきが大分入込みて女中連の忙し気に奔走せるを身受けたり大道香具師の散在せるあり剣舞芝居見せ物の類また三四あり一絵葉書屋の店頭には雲岳と称する老画工が筆を揮って馬の絵を描き居たるが頗る風情気に見えたり。
◎夜の森公園に至るに丘山人稀にして転た寂漠四隣を包める樹木は露を含んで積翠溢らんかと疑まれ二三の記念碑は厳かに建ち東宮殿下野馬追御台覧の御座所は鉄柵を以て構はれ居たり丘を下れば馬場の傍らには赤十字支部出張所の天幕あり黒衣の看護婦四五早くも詰めかけて何や彼やと準備に忙はし。
◎東西一里南北三里に亘りしと云ふ当年の放牧地成る程広闊なものなり小丘其間に起伏して単調の裡にも多少の変化を加ふ足は任せて野原を分入るに我踏みにじる草の音のみ聞えて更に人の気配も物の影も無く茫々として太古の如し時の移るに従い番傘洋傘の山は丘の上に築かれ今や遅しと競馬の開始を待つ名物の煙火空に轟く事頻々愈々活気を加ふ
◎宵乗り式 ▲於原町公園 略

異観!壮観! 原町にて 虎眠生 7月14日民報
▼朝来の光景 十二日朝眠りより醒むれば門前早く馬蹄

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