海岸雑記 2 小高の機業

 長足の進歩を為したるは小高町の機業なるべし、本県第一の機業地は伊達の川俣町なる事は天下の人皆認むる所にして目下の力織機台数一千に達せんとしつつあり、小高は行進なれども既に来八月迄には運転力織機台数六百に及ぶべく其経営方法に至っては寧ろ川俣町を凌ぐものあり、溌剌たる元気は傍の見る目も小気味よきばかりにて、将来の発展測り知るべからざるものあり、然れども此地各機業家の順境に向ひたるは本年に入ってよりにて一時は殆ど立ち難き迄の悲境に陥りたる事もありしが漸く難関を切抜けて今日の好況を見るに至りしものにて、上半期の純益は何れも廿割以上にて中にも交信組みの如きは廿五割以上の配当を為したる由実に全国に於ても其比を見ざるの大盛況なるべし。
主なる工場は半谷清寿氏の百五十七台大井なる半谷一意市の七十三台阿部鶴五郎氏の百二台大曲藤八郎氏の二十台永石工場の五十六台交信組の百台紺野鬼子氏の二十台等にして、松本富治氏の五十台林秀氏の三十台遠東氏の二十台鈴木省次郎氏の五十台等は目下工事中にて八月中より運転開始すべく。此等は交信組を除くの外は全部個人の手に帰したるもの、固定資本は機台一台に対する工場機台其他全部にて百円前後の由、此固定資本の驚く許り低廉なるが事業経営上に有利なる点にて福島二本松等の厳然たる大会社の徒らに損失のみを重ぬるは固定資本に巨額の資金を投入したるに外ならず、之等の点は事業家の大に顧慮を要する所なるべし
交信組の如きは資本金二三万円の資金を運転し半期に於て二千五六百円の純益を獲たる有様なるが経営者は何れも其道の精通者にて生産高の如きも驚くべき多数にて一台一か月十七八本乃至二十五六本を織上げつつありと。
 工業地としての小高は種々の利益あり石城炭鉱に近く汽車の便あるを以て労役時間を短縮する事自由にて機業の性質上電力を使用するに比し多大の利益あり、生活費は都会に比し低廉なるを得るを以て工場の労銀も従って低廉なるを得、原料の購入は直接横浜に出て 取引を為すを以て極めて格安なり。
 此地方に於て使用する力織機台は全部斎外式にて半谷清寿氏に其製作権あるを以て一台五十円前後にて据付け得べく、他の機台よりは大に廉価なり之れ固定資本の機台は構造軽快なるを以て原料は比較的仕アクなるものにて織り上ぐるを得るの特長あり。
 製品の稍劣等なるものは川俣町に出して精錬し其証票に依って買収し、優等品は小高精錬所に於て精錬し直接横浜に出す、之れ小高羽二重の優秀なるを知るに足る。
 小高の機業は斯の如くして益々進歩発展せんとし、旧夢の裡に彷徨しつつある川俣も近時漸く覚醒せり、而して地の利を占めて近時勃興せる保原町と共に鼎立して本県羽二重界の覇王たるものは此三地方なるべし、夫れ大に奮励せよ、至嘱。(巴)
明治43年7月21日民報

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