小高実業界の飛躍 上 久保小蘇
明治36年12月12日民報
人若し沿海三郡の実業を視察し其のいつれの地が最も驚くべき膨張力を認め得べきかと云はば恐らくは「小高」方部を指して之に答ふるに躊躇せざる者多からんなり、何を以て是を云ふか、謂ふ彼れ、「小高」をして彼れ自身をせつめいせしめよ。
彼れ「小高」は決して帆檣林立の良港にもあらねば穏波十里の海水浴場にもあらず、風景の大に人を待つもの無く又観るに足るべきの大建築をさへ認むる能はざるの地にして、交通に於ても他に負るべき無く一言にして之を評せば単に田舎の小駅に過ぎざるのみ、彼の「平」の如き「中村」の如き「小名浜」の如き「富岡」の如き乃至「原釜」の如き特殊の地理を占めつつあるものと其比を同じうして見るべからざるは元より論を俟たず、加ふるに近さ過去に於ける数次の大火は彼等の頭上に与ふるに甚痛なる打撃を以てし其の生産力を奪ひ去りたること実に予想の外に出て人をして殆んど快復し得るの期無かるべきを想はしめたりき、然るに驚く彼れは恰も垂死の病者の如く思はれしにも係はらず彼れは漸く其の労力を挽回し来って青ざめたりし其の双頬に血色を、嗚呼是れ何に由って然るか、吾人の考に値するところのものは此也。
人は云ふ是れ彼れの大火の打撃に依って地方人の長き眠を覚されしに依る、と、夫れ或は然らん。人は云ふ是れ原町浪江対小高地方を通して勧業思潮の漸く高まり来れる結果に依ると、夫れ、あるいは然らん、人は云ふ是二三有志家が率先して他を励まし以て大に其根底を培わんとせしに依ると、是あるいは然らん、然れども吾輩を以て是を見れば小高地方に於ける実業の勃興は要するに小高人が己を空しうして他の言を容れ実地を探つ…区々の小理屈に忸怩まず事業の改良進歩の為めには甘んじて如何なる無礼の批評をも容るるの宏量首として是が謎を作りたるに因るとなすに憚らざるものなり。然り此の固き信念と広き度量を有して馬車馬の如く一直線に進まんとす、此に伴うべき幾多の新勢力と幾多の新活気とが物理の所謂加速運動に其の広場を急転しうるは現より怪しむに足らざる所、ここに至って初めて有志者も其の手腕も其の業に安んじて如何なる無礼の批評をも容るるの宏量首として是が礎を作りたるに因るとなすに憚らずるものなり然り此の固き信念と拡き度量を有して馬車馬の如く一直線に進まんとす、此に伴うべき幾多の新勢力と幾多の新活気とが物理の所謂加速運動的に其の運命を急転し得るは元より怪しむに足らざる所、ここに至って初めて有志者も其の手腕を振ふを得べく又労働者も其の活動の他と趣を異にし頗る注視に値するものあるべきかを確かめんとせば過般同地に開催されし物産共進会の「内容」を窺ふを以て捷巡なりとなす、何となれば「内容」は外観よりも重ければなり。
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