観風雑記 八 於原町客舎小仲屋 久保小蘇
県下第一の植林家
造林なるものが漸く世人の注目する所となりしは実に最近の事にて彼の会社組織として之が事業に従へつつあるものの如き多くは是大林区設置後の創立に拘かるものなるが独り太之助翁のみは嘉永六年の旧時にあって早くも植林の要を認め故孫右衛門翁と相恊って数千株の杉苗を附近の荒地に植え付けたるを初めとし年々歳々之が振興を図って今日に及び森林を起すこと四十余町歩、不毛の地を拓くこと十六町の広きに至りしも尚止まず孜々汲々之に従事しつつある所推して県下第一の殖林家となすべし即ち行って之を訪ふ、家は余が宿舎小仲屋の見編み僅に一町を出でず余を官吏とでも五人したりげん怪訝なる顔して「御巡回で御座りますか、」どちらから……拙老はどうも耳が遠ふございまして」等言へつつ自ら茶室に導き先ず老眼鏡をかけて余が出したる名刺を熟視し軈て破顔一笑「ハッあなたが久保さんで……コレはこれは能く御出で下すった、御名前は孫などにも時々聞いて居りましたが、出ますたびに御厄介になります……」孫とは佐藤徳輔氏を指すなり、翁年既に七十有三禿頭皺面何人の目にも古希を越へたるべしと見受けらるる相貌なるにも拘はらず意気尚壮にして言語又明晰なるのみか起挙動作の活発なる所所謂矍鑠たる這翁」の風あり余が為めに嘉永安政当時より今日に至るまでの殖林事業に関する経験を話し二度三度火災に遭ふて尚一家離散の窮境に陥らざりしもの主として殖林の利ありしに依るとて備さに経営惨憺の実情を説き且つ語って云ふ野老が三十余年前に於て十七両を放ちたりし山林此程之を売却して一千円の収益あるを得たり此一事又以ていかに殖林業の驚くべき益あるかを証して余りあるべし云々と諄々倦まずびび休せず、余は翁が語り尽くして満足の色あるまで之を傾聴したる後慇懃其厚意を謝して辞し帰れるが人智挙げて選挙競争に熱奔し殆んど狂せんばかりなるの当日に於て此老農を訪ふの事又必ずしも風流ならずとせず忙中閑あり閑中忙あり。
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