○ 原ノ町の殷ひ 野馬追見物の為め各地よりの人出非常に多く汽車の発車毎に幾千の群衆入り込み一方ならざる雑踏を極めたり△停車場通りより原の入口迄は曽倍見世物小屋等隈なく両側に建てられ馬鹿噺しに客を引く様宛然浅草奥山の体△宿屋は何れも二百乃至三百の宿泊人あり八畳敷に何十人と云ふ割当にて非常の混雑なりしが前日小雨ありし為め人出を減ぜしものにや例年よりは来客少なかりし△市中は毎戸軒頭に造り花をさがり提灯を吊るしラム酒及東京ビールの広告音楽隊は始終市中を廻はり居たれば一層の賑ひを呈したり△停車各駅の混雑一方ならず或は乗り後れたるもの或は乗り切れずして次回の汽車を待つもの各停車場に人山を築きしも日鉄社員の周到なる注意により別段不都合はなかりし
明治33年7月4日民報
○ラム酒一手販売 相馬郡原ノ町松本孫右衛門氏方にては今回東京なるラム酒会社と特約を結び同地方一手販売することとなりたるより広めの為め本月一日二日の両日宮城音楽隊を先登とし市中を練り廻はり雲雀ケ原には別に牛山上に仮店を設けて販売せしが両日の売高は十箱以上もありし由
○原町銀行 は相馬郡原の町鈴木龍助村井昌作堀川雄八鈴木熊雄四氏の合名にて設立し此程許可を得たることなるが近々開業すべしと云ふ
明治33年9月30日民報
○相馬郡原町雑信 警察分署 柚原分署長は万事に注意厚く能く部下を特例して部内の便宜を計り居るより赴任日尚ほ浅けれども町民の気受け大に宜し▲町役場 町長以下吏員共日々勤務怠らず能く職責を尽しつつあれど小遣某は毎夜遊興に耽けり時に欠勤するともありて町民の不便を感ずるとありと不平を唱る者多し▲大根胤施与 新町の肥料商野田亀治は正直に商業を営み居るより益々繁昌の模様なるが過日来付辺の農家へ大根種を施与し居るより日々同家へ出入者頗ぶる多し ▲芝居 降雨の為め休業中なりし芝居興行はに三日来晴天と、もに幕を開けしが中々見物人多く毎夜賑ひ居れり(廿四日付)
明治33年7月26日民報