○ 相馬地方の製糸
近来相馬地方製糸業の発達せし事、実に驚くべきものあり吾人は之を当業者に聞けり曰く工女の熟練と云ひ糸質の善良と云ひ今や将さに駿々として其歩を進め数百年来独り本場の名称を博し来りし信達地方の肩上を掠めて将さに其頭を出さんとするの概ありと蓋し同地方の生糸産出高を聞くに去明治十四五年の頃に当りてハ両葉宇多行方の四郡を合して僅かに三百個に過ぎざりしも、今や即ち千個を算ふるに至り、殊に今年の如きハ千五百を超ゆるあるべしと
明治26年8月6日民報

●行方郡小高村通信  農桑の事、蚕児発生の期も間近くなりたれハ養蚕家ハいずれも準備に忙がハしき有様なり桑芽ハ既に萌発し蚕児の養料に供し得べき程になれり、種播きハ両三日前に終了せり麦作は近郷近在何れも不作の模様なり

○常磐線鉄道測量同鉄道布設測量の為め鉄道庁測量課技士小郷 才吉市外に名ハ目下当村小松屋方に滞在測量中にして村内有志者ハ更るがわる案内を為し居れり
明治26年4月28日民報

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