09 全国将門会
七月九日の朝、小高通信部を訪ねてきた人物がある。全国将門会の会員であるとのことであった。前々日、小高町大井の半谷氏より、全国将門会なる組織あることを教えられたばかりであった。
 大事な話だからというので、飛んで行って面会した。
 大井邑花輪の館主大井太郎左衛門常陸之守重胤の後裔、大井佑泉という人物であった。全国将門会の幹事で、将門伝説を研究中であるという。
 彼は、自分でしたためた草稿をもって来ていた。
 「藩祖平将門公以来の相馬藩家来近衛御一族の方々の野馬追山間は、相馬寮内の住民にとって、誠に光栄の至りです。
 前原町市長渡辺敏(執行委員長)殿以来、現在の原町市長門馬直孝(執行委員長)殿に至る迄、毎年ひとかたならぬお世話様に相なって居ります。
 観覧場所の提供は、毎年同市南町三丁目の矢沢勲殿のはからいで、野馬追の為ならばと快く協力いただいております。
 全国将門会と名称を付け、藩公の御遺志を今に伝える相馬野馬追参観を懇願、企画致しました」これを是非とも本紙に載せて欲しいという。
 大井佑泉氏は、現在八十二歳。
 全国将門会というのは、旧相馬藩の関係者一族を中心に編成されている親睦団体で、本部を東京と千代田区内幸町一の一の一、飯野ビル内相馬事務所に置き、事務局を埼玉県坂上市泉町12-5、大図口承気付に置いている。
 相馬恵胤氏を会長に抱き、西日本に四百人、合わせて六百人野会員を擁する。
 もともと相馬一族会という名を大井氏の発案で「全国将門会」と改称し、昭和五十二年に、第一回の野馬追参観を行っている。
 「相馬藩ゆかりの子孫を、野馬追に案内したらば、昔の伝統がずっと続けられているのを見て感涙している人さえあったんですよ」
 大井佑泉氏は、ただ一人で野馬追を負う者のごとき語勢にて言葉を継ぐ。
 「いつの頃からか騎馬会の言うなりになってしまって、本当に困ったもんだ」
 「だいたい、あんな行列ではだらしない。大将や役付きになれば、ちゃんと作法どおりの馬さばきで見事なもんだが、ヒラの武者のふるまいは、なっていない。武士の精神を忘れている。見物人をおどかしたり、姿勢も悪い」と指摘する。
 今年で八回目の野馬追山間である。
 七月二十三日午後五時に、約三十名の全国将門会の顔ぶれが、小高町泉屋旅館に集合し、見学団結成式をする。
 二十四日には原町、相馬、小高と移動しながら祭りを参観し、二十五日に小高神社境内で野馬懸けを見たのち、解団式を行うスケジュールになっている。
 みな平将門を藩祖と仰ぎ、崇敬する人である。要するに観光客リピーターとして有り難いかわいらしいアナクロニズムのおじいちゃんたち。旧世代のヲタク集団だ。
 この一方で、最近は、将門と相馬藩とは無関係という説が学会で発表された。

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