江戸の醜聞愚行 第214話 槍と引き換えに首 永井義男
文政元年(一八一八)七月、日光街道の宿場でおきた事件である。
相馬(福島県相馬市)藩の家臣が供を従え、とある旅籠屋に草鞋を脱いだ。おくれて、会津(福島県会津若松市)藩の家臣も同じく供を従え、旅籠屋に着いた。
旅籠屋の亭主はすでに部屋がふさがっているため、あとから着いた会津藩士にほかの旅籠屋を利用するよう頼んだ。
会津藩士は怒り出した。
「ここは会津藩の定宿ではないか。部屋がないのなら、相馬藩士を追い出せ」
相馬藩が外様で六万石であるのに対し、会津藩松平家は徳川一門で六十万石である。格上をカサに着てのごり押しだった。
亭主は困りきり、相馬藩士にほかの旅籠屋に移るよう頼んだ。
相馬藩士は亭主の窮状を察し、無用の摩擦を避けるためもあって、黙ってほかの旅籠屋に移った。そのとき、あわてて移動したため、槍持の中間が部屋に槍を忘れてきてしまった。
槍持はもとの旅籠屋に槍を取り戻しに行った。
事情を知るや、会津藩士は居丈高に槍持を追い返した。
「武士たる者が大事の槍を忘れるということがあるか。それに、ここはすでに我らの城じゃ。槍を返すことはあいならぬ」
むなしく帰ってきた槍持からいきさつを聞くと、相馬藩士は丁重な書状を書き、それを持たせてふたたび会津藩士のもとに行かせた。
書状を読んでも会津藩士は納得しない。しまいには、こう言い放った。
「帰って主人に言え。槍持の首を持ってくれば、引き換えに槍を返してやるとな」
またもやむなしく戻ってきた槍持から事情を聞き、相馬藩士は心を決めた。
「きさまも武家奉公の身。覚悟してくれ」
「へい。もとはといえば、あたくしの粗忽からおこったこと。どうかあたくしの首と引き換えに槍を取り戻してください」
槍持は涙ながらに訴えた。相馬藩士は槍持の首を刎ねると、生首を白木綿に包み、もとの旅籠屋に乗り込んだ。
生首を見て、会津藩士は真っ青になった。即座に槍を返却したが、生首を受け取るのはこばんだ。
『文化秘筆』に拠る。『半日閑話』にも記載があるが、相馬藩士と会津藩士で立場が逆になっている。
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