ドキュメント相馬野馬追 8
 首が飛ぶ
 NHKの大河ドラマ「風と虹と雲と」のタイトルバックを覚えておられる読者も多いことと思われる。
 主ない馬が、ただ走る場面である。
 美しい装飾の馬具が、スローモーションの動きの中で、ゆっくりとゆれるさまに、何かしら不吉なイメージを見るものに与え、しかも妖しいのである。
 当然のことながら、この場面は、重要な故事を象徴している。
 すなわち、平将門の戦死のことである。
 平将門という名前が、日本人の奥底にあるものを揺り動かす力は、ただごとではない。彼の人物像よりも、伝説化された彼の姿の方がはるかに巨大になってしまって、困ったことには名前の大きさがふくれあがるにつれて、じっさいの人物は歴史から忘れさられているのいである。
 わが相馬藩の遠祖とされる平将門について、本来の興味を持っている人さえ少なく、実におびただしい「相馬野馬追」関係のパンフレットにしるされる平将門という名前は、もはや藩の始祖としてではなく、伝説のかなたの、つねに枕詞にされるだけの「著名人」にすぎない。
 この名前を借用して、各時代に各世紀の権力者も庶民も、自分たっちの気分や思想のために、いかに利用されてきたことか。
 将門伝説は、数ある日本の人物のうちでも、とびぬけて豊富なのである。
 「相馬野馬追を二十倍楽しむために、そろそろと、千年むかしの神話か伝説のあたりから読み解くのが、この稿の本領ではなかろうか。
 現場の相馬野馬追の方は、マスコミ諸氏の有能なる記者にまかすとして、著者は自宅書斎にこもって、読書三昧に耽ろうと思う。
 さて、実のところ、本音を吐いてしまえば、この稿が一冊の本にまとまる時の全体の構成は、どんなふうになっているのだろうかと、ずっと考えあぐねて構想を練りながらまとまらずに、連載を引き受けてしまった。
 個人的な好みからいえば、やはり平将門の怨霊の話から書き起こしたい。題して「首が飛ぶ」。
 中空を飛ぶ人間の首という飛行物体におののく庶民と、おどろおどろしいうわさ話から始まるのが適当かと思う。
 学問としての、文献紹介としての野馬追、観光案内としての野馬追、色々な本はすでに出ている。
 伝奇やら、歴史ロマンとしての、楽しい紀行ふうの相馬野馬追はないものだろうかと、かねがね思って居た。
 ここはひとつ、一年ぐらいかけて、あせらず、ゆるゆると、のんびりと相馬野馬追というものを紀行してゆこうではないか。
 参考図書がたくさんある。「太平記」に出てくるのは、おそるべき平将門の怨霊話である。
 坂東(関東地方)で果てた平将門は、その首が藤原秀郷の手で斬り取られ、京で獄門に晒された。
 時に延喜三年(960年)二月十四日死。同二十五日、京着。五月十日太政大臣の命により、外樹に架けらる。
 その首が、三日たっても生気うしなわぬ色して、眼をかっと見開き、口惜しそうに歯をむき、夜になると「わが五体はいずこにあるか。ここ来い。そしてふたたび、頚をつないで、もう一戦いたそうではないか」と叫んだ、というのである。
 この話は、江戸時代になると、ついに「江戸雀」(菱川師宣作)の中で、
 通力自在の将門の首は、おのれを討った俵藤太が坂東から京にのぼるのを追って、天空を飛んできた、という物語まで成長してしまうのである。
1985.6.28 あぶくま新報 第7号

注。原町の横村タイヤの二階に事務所を借りて、ミニコミ旬刊新聞を創刊させた直後で、なにか読み物を連載しようと、ばたばたと始めたストーリーだったが、忙しいながらも、相馬野馬追の歴史を整理して勉強しなおすには、いい機会でありおもしろかった。

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