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人質合戦
(略)
さて、八切止夫の意外史をさらに読み進めてゆく。
「本朝競馬事始め」と題してサンデー毎日に連載された義胤の子利胤の物語を覗いてみよう。のちに単行本にまとめた時に「大穴」と改題されている。
天正十八年七月。小田原が落城して秀吉は帰京する。これを追って相馬義胤は、ひとまず小高に戻って進物の用意をし、雪にならぬうちにと十一月に出発し、十二月には聚楽第へお礼言上のためお伺いした。
「その方、なかなかの馬術の名人じゃな。箱根の馬の駈け比べの際に、退屈しのぎに諸大名が入れ札をしあったが、みな若い政宗めに賭けおって、どやつもみな損こいたそうな」
愉快そうに秀吉は、からから大声を出して笑い、
「よう遠路、出てきたな」といたわり、
「行方(なめかた)、宇多、楢葉三郡、四万八千七百石」
の本領安堵の朱印状を出してくれた。
前年伊達政宗に奪われた宇多郡駒ヶ峯、新地の二つの砦も取り戻してくれた。

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