62 駒くらべ
面白くないのは政宗だ。あんな小国の相馬と自分が同格で呼び出されているなんて。若いだけに、何とも肚がおさまらない。政宗は当時二十四歳。血気盛んで、不遜なほどの傲岸さを表情に表した。
政宗は、戦国の世に二十年送れて来た武将といわれる。天下平定の時期に生まれたのが惜しいほどの大器だった。
さて、政宗は憤懣やるかたなく取次ぎ衆の木村吉清に、
「相馬は一年前に領内北部の二つの城をわれらに渡し、降参致し居る様も同様のもの………それと肩を並べて太閤殿下のお目通りとは、あまりにも奥州の実情をご存じなき明盲のお沙汰におじゃる」
とクレームをつけた。
渋い顔の秀吉。義弟の浅野弾正に相馬を調べさせたところ、義胤も負けてはいない。
「これは異なるお尋ねかな。確かに昨年五月に北部領内に伊達政宗が侵入し、わが方の砦二つを奪いたるは事実なれど、それ位のことで吾等は降人するわけなく、その后軍備を整えて奪還せんとしている矢先に、このたびの争いごと停止のご沙汰。お許しがあらば、早速国元へ使いして、合戦させ申す」
と言う。
遠い奥州のこと。判断に苦しむ秀吉が考えついたのは、駒くらべ。
「相馬は昔から野馬を飼い馴らすので鎌倉時代よりよく知られた家柄。政宗の嫁は。三春駒で名高い田村の姫。よって、三春駒と相馬の駒を駈け比べさせてみよう」
と思いついた。
「治部(石田三成)に命じて、彼奴に馬の駈け合い奉行をいたさせい」
ということになった。
三成は、殿様の気まぐれについては熟知している。はて、わざわざ殿下からもご指名では何か趣向を凝らせとの思し召しであろうと、首をひねり、兄の木正頭に相談したところ、
「道楽とは呑む打つ買うの三つ。その方が呑み屋をやりその方が呑み屋をやり、殿下には打たせ、諸大名に買わせたらよかろう」とのアドバイス。
早速「伊達」と「相馬」の札を何枚もこしらえて、これをもって各陣営から秀吉の本陣に同候してくる諸大名に、それぞれ「殿下のお慰みじゃ」と言っては一枚銀百匁で購わせた。
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