野馬追の句
東京の俳人たちの紀行は、もちろん俳句で締めくくられている。紹介すべきだろう。
撲天鵬は、小高の野馬掛け神事について簡潔にまとめている。
「十三日の小高妙見の野馬掛は午前十時頃から始まり、正午頃には終わる。妙見神社前に竹矢来をしつらへ、これへ馬を追ひ込む。此日の騎馬武者は三十騎ばかり、小高勢で二十数頭の農馬を遥か彼方の森陰に放ちおき、時刻が来るとそれを追って来る、之も亦見ものであった。追ふは気負ひの若武者、追わるるは鞍もおかぬ奔馬、紆余曲折たる青田の中の径を疾走の如く駈けぬけ駈け抜け身がて小高川の堤上にのぼり、馬塵を挙げ、たてがみを振り乱しつつ妙見社内へと驀進する。正しく絵巻であった。待構へた使丁達は荒れ狂ふ奔馬のたてがみを引きつかんで捕へる。其最初の一頭を神馬にたてまつり、あとは相馬家で買ひ上げるのが昔の野馬追の儀式であった。三日間に亘る相馬の野馬追は大体こんな事で終る。」
ということは、原町で行われていた中日の競技は、色々と演出が加えられたが、小高の行事については、全く現在の場合と変わりないということだ。
駒村は、「天幕の下で悠々見物すると云ふは土地っ子の自分でさへ今度が初めて」と告白している。
東京で名を上げ、今回は客人としての野馬追見物である。
「何時もは草原に腰を卸すか、矢来に縋るのが関の山であった」という。
昔から、之馬追という祭りは見物客への配慮がない。勝手に見ろ、という仕組みになっている。
特等席は馬上である。その次が天幕下か。
「これも偏に絹村、君仙子両君斡旋の贈物と今更ながら私かに感謝する」
と駒村は書く。
俳人たちの最大の興味は、この日午後三時からの金性寺での俳句会にある。彼等は最初の一頭の挙げ野馬を見物すると、そそくさと寺へ向かう。
当日の俳句会には、中村、原町、小高から三十名集まった。撲天鵬は駒村の句から、駒村は撲天鵬の句からそれぞれの紀行の末尾に掲げている。
野馬追関係の句を次に紹介する。
野馬追の少年眉目秀でけり 撲天鵬
野馬追の軍者なりけりあらけ声 〃
野馬追の人馬に草木なかりけり 〃
野馬追や綴るよしなき古鎧 〃
野馬追や螺役々交る美少年 箕谷
野馬追の軍者叱って駈けぬけし 〃
野馬追の追ひ込みし馬草食める 〃
宵乗の一騎は町に紛れけり 翠影
野馬追のすみし芒のそよぎ哉 〃
旗取りて陣笠の下目の涼し 〃
子猶清を野馬追に出陣さす
家ぬちや武具ども散らし明け易き 絹村
旗風の曠野あはるや御野馬追 瑛女
宵乗の武者に由緒ある刀かな きんし
陣貝の木魂返るや御野馬追 四更
野馬追の法螺貝聞や門出せん 水里
宿縁に野馬追の庵主哉 丁石
火祭や小高川原の月見草 〃
火祭の終えてせせらぎ聞かれけり 〃
早乙女や野馬追武者を見知り顔 駒村
野馬追や乗馬いたはる一つ松 〃
野馬掛や御小人並ぶ草の上 〃
野馬掛や矢来の外や麦の秋 〃
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