40 極彩色の絵巻物
 大曲駒村と戸澤撲天鵬とは、別々の俳句雑誌に野馬追千年祭の見物記を書いているが、駒村は地元小高出身として知識も身についており、書きぶりも余裕しゃくしゃくというところ。
 撲天鵬の方も、伝聞と実見とをよくまとめて佳い印象記としている。撲天鵬の筆は、彼の驚きを色鮮やかに描いてゆく。
 「何にかさて一千一百十七騎の武者が旗指物で繰り出すのである。鼓役は太鼓を打ち、螺役は法螺貝を吹く、壮観とも何とも譬へやうがない。鎧は緋縅、紺縅、卯花縅、紫縅等々、其の他は名も知らず、記憶にもないが、話によると廃藩置県後の仙台領、水戸領、会津領あたりの古鎧が大方相馬に集まったといふから、大したものである。
 「指物は…中略…武家制度のない今日では旗帳あって無きが如しで、銘々勝手なものを用ひてゐる。但し旗印其物は昔ながらの物で新しい印を作ったのでない。又指物も大方は古い物を伝へて大事に使用してゐる。」
 「旗地は羽二重と昔から決まってゐるが、連隊旗の新しいのが何となく重みの足らぬやうに、指物も古びたもの程由々しげに見えた」
 「馬は乗馬が少しあるが多くは農馬で、自然爽快み味に欠けて居る点は御時世がら致し方あるまい」
 騎馬行列に関しては、駒村も撲天鵬も似たような記述をしている。
 二時間あまり見物してから、役場の吏員や町の有志らとやっとのことで自動車を拾って、間道を雲雀ケ原に向う。
 特別席の桟敷に辿り着いた俳人たちは、涼風と見晴るかす眺望の良さに満喫したようだ。撲天鵬は書いている。
 「さながら一大絵巻を広げたやうなものであった。しかもいわんやそれが絢爛たる極彩色である。恐らく今の世にかかる懐古的な尚武的な美しい行事はないであらう。誠にこれ年中行事中の圧巻。校が中の豪華版といひつべしである」
 駒村は次のように書いた。
 「さながら前九年か後三年の役あたりの豪華な絵巻物を、夏野に展開したとでも云ふより他に云ひやうがない」
 原町役場の接待で、差し入れの弁当とビールが出た。が、あまりに暑くて誰も飲まない。
 「陣法螺が夏野に鳴り渡り、轟然たる烽火が夏雲の彼方に打上げられて」(駒村)
神旗争奪戦が繰り広げられる。
 真っ先に神旗を取ったのは、記録によれば赤地に「重宝権現」と白く抜いた旗の騎士。
 観客はみな一斉に立ち上がって見る。七曲りの坂を上る姿に、近くの見物人はみな拍手で迎える。
 第一の旗を得た勇士が恩賞にあずかっている頃、第二の烽火があげられる。
 次々に十数発の烽火と旗の争奪が眼下のパノラマに行われるのを見届けて、俳人一行は役場の原田吏員や案内役の木幡清氏らと別れ、帰途についた。
 「かくて午後四時頃、赫々たる西日の中を騎馬武者も見物もちりぢりに帰る。さてその夕べの原町停車場も混雑さ掛値なし十万の見物が諸方から入り込んだのだからたまったものでない」(撲天鵬)
 「切符を買ふに殆んど一時間を要した。絹村君は自転車で帰り、君仙子君は同村内(小高在福浦村)の見物人の中に病人が出たとかで残り、帰途の汽車は、我れ我れ東京からの同勢四人だけであった」(駒村)

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