35 旗の数
「相馬野馬追史」(相馬野馬追保存会・昭和五十六年発行)は「旗の数」という一項を設け、「相馬市史」(第六巻)からそのまま数値を転用して掲載している。
これによると、
藩 8
藩主 17
御一家(御一門) 29
城下士と城下士並 810
その他の藩士(在郷給人郷士など)
宇多郷 475
北郷 312
中ノ郷 331
山中郷 137
小高郷 170
北標葉郷 179
南標葉郷 160
明治以後の役旗 3
計 2,641(本)
しかし困ったことに、右に掲げた数字はあくまで歴史的根拠のある正式な旗についてであって、このほかにも自分勝手に自己流のデザインで家紋やら社章その他の意匠を旗紋にして出場する者が跡を絶たない。
この由々しき混乱を、驚くことに統括する権威もしくは組織的機能を現代の野馬追は持ち合わせていない。かつての旗奉行の役割は失われてしまったのである。
伝統文化を守る、と人は言うが、守るべき伝統文化の真価を知っているものは誰なのか。本当に守るべきものは伝統の正統性においてであろう。
「せめて」
と発言するのは、相馬藩主後裔の相馬和胤さん自身である。
「実際に旗帳にある旗紋を、旗を持っていないものが借りて出場できるように、旗の使用を許可する権限を一括して任せられるような仕組みがあればいいのだが」
と側近の者に洩らしている。
他人の旗紋を旗帳から探り、無断で出馬してトラブルを起こすという事件が何回もあった。
旗は個人に与えられた固有のものなので、その子孫が代々受け継いでいる財産である。
今日でいえば著作権に似た性格がある。これを無断で使用することは明らかに権利の侵害である。
こののち独自の旗紋を創作して出場する者が現れた。もちろん旗帳にも載っていない。藩士給人の子孫ではないからだ。
民主的な世となり、平等な社会において、野馬追祭が参加者を限れば衰退の一途しかない。広く参加者を迎え入れるにしても制約がある。民主主義の時代に、近世の伝統行事を受け継いでゆくことは、その辺に大きな悩みがある。
しかしもはや新しい旗紋には歴史的な価値は全くない。にもかかわらず、その存在を許してしまっては賑わい以上に伝統文化の破壊である。
「せめて」
という一語には、野馬追がお家の祭礼であったトップにある者の苦慮がこもっている。
賑わいだけが祭りではない。古き祭りの復活。それをとおしてのみ、その祭りの本質が見えてくる。いずれにしても本物の野馬追の姿はどのようなものだったのか。現代では誰もそれを見ていない。