31 旗の交換
田んぼの中の一本道を突っ走る単騎。それを追う二、三騎。
畦で野良仕事をしていた百姓も、あんれまあ、と行列とは反対方向に走ってゆくのはなんだべな、と思う。
時ならぬ競馬に、沿道の領民はびっくり仰天。
あらんかぎりの力で馬は走る。集落を抜け、川を渡り、坂をくねって登り、樹の間を縫い、沼のほとりを過ぎ、丘を駆け下る。またやがて、点々と茅葺の屋根が見えてくる。
駒の鼻息が荒くなってきた。もうすこしで追いつくと思われたその時、謎の騎士は疲れ切った馬を乗りすてて、山中に繋いでおいた別な馬に乗り替えて再び発った。
間者は何と要所要所に替え馬を潜ませていたのである。
敵は新たな馬。こちらは原町から同じ馬。
最初は追いすがる勢いであった相馬騎士は、替え馬を乗り替えながら逃走する敵を目前にして、どんどん距離を隔てられてしまう。
やがて無念にも、敵は視界から消え去ってしまった。
何という奸計。あれはきっと敵方、北方伊達の手の者に違いなし。
この逸話は、野馬追にまつわる秘話としては有名な口碑で、藩士の子孫にそれぞれ伝えられたが、家によっては伝わり方が違う。
中ノ郷永野村(現在の石神長野地区)の青田家に伝わる話では、次のようになっている。
謎の騎士が、長躯して相馬領の最北限駒ケ峯の藩堺の峠にさしかかると、国境を守る相馬藩士草野某が槍を構えてまっていた。みずから名を名乗って問うた。
「あいやしばらく。ここを通す訳に歯まいらぬ。いずこの渦中の方であるか、名を明かされよ」
謎の騎士が堂々と応じて答える。
「それがしは伊達家家臣、側小姓の片倉小十郎である。君命を帯びて、相馬の野馬追を見聞に参った」
両雄の眼光するどく閃めき、支線が中空でバシバシっと漫画のようにぶつかり合う。
しばらく沈黙。
やがて草野某が口を開いた。
「伊達と相馬は今は和睦の時。いついかなる場合にか戦場であい見まえることもあろう。その時の目印に、互いに旗指物を交換いたそうではないか」
国境の峠で、二人の武士は相手の武運を祈って旗を交換して別れた。
のちに草野は藩主に願い出て、この旗の使用を許可されたというのだ。
青田家に伝わる旗帳は、天保年中と書付があり、表には「秘書」と記されている。昭和五十六年に発行された相馬野馬追史という本の末尾に、カラー印刷で紹介されている旗帳はこれである。
この旗帳には、黒地赤釣鐘ではなく、赤地に白釣鐘として日立木赤木村草野弥左衛門のものとなっている。
いつ頃色が変わったかは不明だ。
十年前の伊達家宝物展にも、昨年の宝物展にも、片倉家のものとして黒地赤釣鐘が展示されていた。
謎の騎士とされる片倉小十郎とは、のちの白石五万石城主である。
なお小高の半谷家に伝わる話では、峠の一件はなく、小十郎は民家に隠れて居るところを発見されたことになっている。