27 野馬追を地域個性に
二十一世紀に向けて地域個性が生き残るための方策として様々な上行性が検討されている中で、地域個性ということがいわれる。昨年は、野馬追がテーマとして扱われることも多かった。
原町青年会議所は創立十五周年を記念して南相地域の住民層を対象にアンケートが行われ、これを史料として初の試み「地域シンポジウム」が行われ、第五分科会では「個性あふれる地域とは」という問題を投げかけ、野馬追と地域個性をめぐって活発な意見が交わされた。
発言者の意見を要約すれば次のようになる。
観光協会長の佐藤新一はこう述べる、
「野馬追は藩政時代には武術の行事だった。現代の野馬追は明治八年に計画されて、その三年後から実施された祭りなんです。これはやはり相馬藩が官民一体の治世の良かった藩だったことが(理由として)あります。
昭和三十年代には、全国的に馬が減少して、百騎そこそこの出場もあったようですが、最近はまた復活しています。最大の原因は松井のみりょkなんだろうと臣ます。出場する人の側から言わせると、一度出たらやめられないという豪快さがある。とてもカネでは買えないほどの、すばらしい祭りだという訳です。出場者の子や孫が、また出場する。そういう伝統の強さですね」
原町青年会議所のアンケート設問「地域個性をどうするか」に答えた最も多い回答は、「地域個性としての野馬追を活かせ」というものだった。
ところで昨年十一月十六日には原町商工会議所と東邦銀行の顧客で組織する東友会の主催で、通産省通算政策局次長の鈴木直道氏の講演がサンライフ原町で「二十一世紀の地域開発と街づくり」と題して行われた。この中で鈴木氏は
「原町市の将来を心配している。地域活性化のためには、原町市は他に例を見ない相馬野馬追をもっと活かすべきではないか」等と述べている。
「どうやって人を集めるか、集客力を高めるかということで、原町市は伝統のお祭り野馬追がある。さらには日本でも有名な民謡がある。これを組み合わせたら原町市は世界でもあっという間に有名な町になる可能性がある。原町は、すでにそういう要素を持っている。すばらしい財産である。だからこういうものをいかに活かすか、原町をどう売り出すかがカギになるように思う」
というのである。真理は凡庸なりだ。
地元の我々と同じレベルの平均的な庶民の大多数も、一国の頂点に立つエリート官僚も結論は同じらしい。
ところが、この古くて新しい街づくりの課題は、いつも付け足し的な扱いをされてきたようだ。
その一方で、地道なPRが行われている。寒さ明けやらぬ一月八日から相馬野馬追執行委員会では、事務局員八名を関東東北地区へ派遣した。
今年の祭りまで、百ナナ十七日。
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