23 覇王の意思
羽根田万通は語る。
「私もね、つくばの万博会場で仕事をさせていただきましたので、国王神社へは、仕事が始まる前にあいさつする意味でお参りに行きましたよ。もともとあの辺は、平将門の土地ですからね。相馬のご先祖の土地ですよ。それから、つくば万博が終わって、商売の方は、これこれこんなぐあいでございました、と報告をいたしまして」
羽根田万通は、相馬市で菓子製造販売を営む船橋屋の専務である。
今年のつくば万博会場に、相馬の地から出店した。
その事じたいに面白さを感じて居たが、国王神社へ参拝していたというのはさらに面白いと思って、相馬市の自宅へ話を伺いに出かけた。日を改めて二度、羽根田宅を訪問した。
彼の史観は、ほぼ私のもののみかたと共通のものを持ち、話は弾んだ。
「日本の歴史を見るとね、今もって天皇家を中心にした枠組みなんだね。しかも国家のなりたちというものは、整然とした制度や組織といったものなどではなくて、訳のわからぬどろどろしたものを内蔵している」
体制も反体制も、その力の根源や理論や姿が明瞭であれば、国家や権力が許容する。しかし、どんな小さな動きでも、それが訳のわからぬものと判定された時に、権力が反応する様は過激であり徹底的である。
つまり、レッテルを貼りきれぬものをすべて抹殺してしまわなければ、権力という一つの秩序にとってはどんな小さな穴であろうと虫であろうと命取りとなりかねない恐怖となる。
十世紀の京都中央政権が、東国の風雲児平将門の私闘の連戦連勝というニュースに、やがて京都へ攻め上られてしまうのではないかと震撼したのは、本質において右のような事情によるものだろう。
公家たちのあわてふためくさまや怯懦をこそ、鬱屈した権力下の庶民は嘲笑したであろうし、将門の風聞のいちいちを痛快に思ったことであろう。
ただし、渦中の人将門じしんは、彼の行動の歴史的意味も、政治的意義もわからなかったふしがある。
日本国の半分をむしり取とうとしている新皇というイメージを冠された将門の姿とはうらはらに、じっさいの将門はあわてて旧主藤原忠平に弁明書を送っている。何という、なさけない反逆者であることか。
しかしながら、本意でなき私闘に勝ち続けてしまったがために、新皇ともちあげられてしまった平将門にはかかわりなく、こうあってほしいという庶民と権力者たちの願望が怨霊の力を呼び、ついには将門個人をも、そのように動かす。神意の成就とは、いつもこうして動くのである。
「野馬追は、ありゃ神事ですよ。祭りじゃないでしょうが。手を付けないほうがいい。別に、祭りとして何かを始めたほうが成功しますね」
それが羽根田万通の意見であった。
私もそう思う。