22 祟る神
平将門を藩祖とする、と奥州相馬の人々は語る。だが、それは伝承として言い古され、相馬野馬追という行事に古めかしい権威を附与したいというためだけの口ぶりでしかない。
信仰はそこにはない。
相馬妙見への信仰ですら、もはやない。現代人の信仰は、バビロンのごとき東京にあり、そこにある黄金である。無尽蔵と思われる権力の源泉に対しての帰依である。
それでは、まるきり平将門の値打ちはないのだ。平将門の魅力は、単なる著名人としての箔をつけるだけの名前であっては困る。かれは、祟る神なのである。
触れれば祟る、奇跡がなければ怨霊将門の真価はない。
岩井地方は将門全盛の地でありまた終焉の地である。そこには、まだ将門への崇敬がある。信仰すら生き残っている。
「今でも」
と、国王神社奉賛研究会員山崎正巳は説明する。
「将門関係の史跡には手をつけると祟りがある。昔の人はそう言って、文化財を破壊せずに遺してくれた」
だが、やはり今でも現実に、何か事故はあるのだろう。山崎はそれを否定しない。それがなければ信仰ではない。
野馬追は神事である、という人のイメージはしかし薄っぺらで貧しい。
あれほど勇壮で(つまり金がかかり)しかも、儲からない(直接収益は三千万円足らず)祭りは外にない。
主催者は執行委員会となっているが、実態は各構成員のてんでんばらばらの、その時の力の加わり具合で事が進む。
祭主は、けっきょくこの世の力ではない。金と暇を持ち寄る人間の集団に乗って依りかかっているのは、現世に生きている一個人としての権力者でもなければ、まして制度や機構でもない。
言ってみれば、トラデイッショナルな命なのである。伝統そのものなのだ。国王神社で営まれている信仰行為は、まさにそれであった。
野馬追の隠された深奥には、外からは見えないが不可思議な祟りの世界がある。そこにつながっていない人間は、本当の意味での参加と言えるかどうか。
馬に乗るように、乗る者と乗られる者とがある。相馬野馬追という巨大なエネルギーは歴史を生き抜いてきた生命が、皮相な現代の形を借りて、乗り移る祭りなのだと見た。それとは同根の最も深い場所に、信仰が息づいている。
国王神社では宮司を通して相馬の羽根田万通の名前が出た。はからずも羽根田氏も、ひそかに平将門に関心を寄せる人であった。のちに羽根田氏を相馬市に訪問すると、彼は答えた。
「覇者の意思というものを考えるのです」
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