21 平将門の土地
十一月の九、十日の両日、小高郷文化財保存会のみなさんとともに、千葉県流山市の市立博物館と、茨城県岩井市周辺の平将門関係遺跡を巡る旅に参加する機会を得た。
平将門の土地を訪ねることはかねてから念願していたことなので、今回の小旅行は有意義で充実したものとなった。
会長の半谷猶清は、六六〇年前にその先祖が相馬藩祖重胤に従って奥州へ下向してきており、この八月には先祖からの言い伝えとして残された家伝を果たした。すなわち、いつの日にか一族の出身地である半谷の地を訪ねよ、というのである。半谷というのは、現在の茨城県岩井市の一部半谷村であり、半谷は御遺族の半谷哲夫(小高)、半谷豊(富岡)らと三人で先祖の土地を訪問した。
これがきっかけとなって、十一月の第二日曜日に、岩井市で将門祭りという武者行列が行われることを知り、小高郷文化財保存会員を募って、見物に行くことになった。
一行には、半谷の親戚筋にあたる堀内正一クリーニング業、野馬追出場では常連の栗崎房雄 農業 全国将門会の幹事大井佑泉、螺役長を長年務める半杭洸 農業、それに骨董を扱う佐藤茂、NTTを退職して野馬追の旗差し物を研究する事務局長の門馬博文らが参加した。
旅行のあらましは、本紙前号で既報のとおりだが、ここでは旅の折に触れての気づいたところを記そう。
訪問地の岩井市は、平将門の終焉の地である。また将門ゆかりの数多くの史跡が残っている。
我々一行は、まず将門自身が祭神となっている国王神社に参拝した。
日本においては、名のある人物は、たいてい死後カミとして祀られる。武人の場合は殊にそうで、近代の人物として乃木希典大将や東郷平八郎元帥でさえ、今は神社の奥でカミとして崇められている。
歴史的実在と超自然的実在の間には、何ら不連続性を日本人は認めないものらしい。
現実に国王神社という宗教組織があり神官がおり、氏子たちがおり、信仰と崇拝が日々行われている。
平将門は、千年後の今日もこのように生きているのである。
不思議なことである。
しかも、今だにこの土地の庶民によって英雄として尊敬され、また祟る神として畏怖されている。
起伏のなだらかな関東平野を、風のように吹きまくった武将平将門は、まさに風雲児であった。
目を閉じればすぐにも千年前の地形が思い浮かんでくる。
入り組んだ丘や森のふもとにまで、東京湾からの水系は深く入り込み、戦の天才は馬とともに水路をも駆使して神出鬼没の活躍をしたであろう。この風土の中でこそ、彼平将門の生命は生きづいていたのだ。
注。2005年3月22日猿島郡猿島町と新設合併で岩井市は坂東市になった。